明治維新直後、現在の東京都調布市に、何もかも無償で教育を行う画期的な初等学校があった。その費用は全て、その費用を賄うことを目的として設立されたある企業の収益で賄われたという。布田郷学校と郷学校種豚会社、そして一人の企業家のささやかなお話。 現在の東京都調布市一帯は甲州街道沿いの宿場として国領宿・下布田宿・上布田宿・下石原宿・上石原宿の五つの宿場町(布田五宿)があり、江戸時代以降旅人や荷物を運ぶ人足の往来で栄えていた。明治元年(一八六八年)、上布田宿で旅籠を営む原道太郎(後の原豊穣:一八四三年一月四日~一九一七年四月六日)は旅籠の常客であった公家閑院宮家の下級役人寺嶋豊三から、旧幕臣角田米三郎という人物が設立した協救社の話を聞かされる。 ■協救社の理念と養豚ビジネス 角田米三郎という人物については一橋慶喜に仕えていたということ以外詳しくわかっていない。だが、協救社に関する資料から非常に変わり