ゲルマン系諸民族の侵攻の中で崩壊した西ローマ帝国はしばしの混乱の後、フランク王国によって再統一され、カール大帝(シャルルマーニュ)の時代に最盛期を迎えた。しかし、それも長くは続かず、その後の度重なる内紛とヴァイキングの侵攻などを経てまず三分割、続けて西フランク王国と東フランク王国とに分裂することになった。東フランク王国は神聖ローマ帝国の成立によって統一的な王権が確立したが、西ローマ帝国は諸侯が乱立する無秩序な群雄割拠の時代となり、王権の弱体化は著しく、ついに987年、カロリング朝王権の断絶に至る。 名ばかりの王として即位することになるのがユーグ・カペーであり、彼から始まる王朝こそ、のちに西フランク王国時代の旧領の大半を版図とすることになるカペー朝であった。カペー朝の成立をもって、西フランク王はユーグ・カペーの称号であったフランキア大公の名を取りフランス王と呼称されることになる。現代へとつな