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2011年4月13日のブックマーク (3件)

  • 甘えの構造

    震災から1ヶ月が経過した。あの日から世界が、見える風景がガラっと変わってしまったように感じることがある。 しかし、実際には、ほとんどのことは変わっていない。特に、日経済が抱える構造的な課題は、3月10日から何ひとつ変わっていない。 そして、それらの構造的な課題を克服するために必要なすべての施策について、「いやだ」と反対を続ける日人のメンタリティも変わっていない。 毎年40兆円しか収入がないのに90兆円も使い続けたら辻褄が合わないことは小学生でも分かることだが、収入を増やそうと増税を提案しても、「財務省の陰謀」「先に削るべき無駄があるはずだ」と反対する人たちが多くいる。 収入が増えないなら支出を減らすしかないのだが、もっとも大きな支出である年金を減らすために受給開始年齢を引き上げようとしても、高齢者が反対する。 次に大きな支出である医療費について、保険料を上げるか、自己負担を増やそうとし

    甘えの構造
  • 捨てる勇気の時代と心性 - 岸田 航

    渡辺京二の名著「逝きし世の面影」には,幕末の日に滞在したイギリスの外交官が伝聞したというエピソードが紹介されている。一人の哀れな男が千鳥足で寺院のそばの溝に落ちたが,少し離れたところで,子犬も水の中でもがいていた。下級の僧侶が通りかかり,てっきり溝の中の男を助けると思いきや,その僧侶は溝から犬を引っ張り出し,溝に落ちた老人には目もくれなかったという。 何の話かと言えば,池田信夫教授の「捨てる勇気」のことである。震災から3週間を経て,海上を漂流する屋根の上から犬が奇跡的に救出されたとの報道は久々に心温まるニュースだった。これに池田教授が「行方不明がまだ1万人以上いるのに、犬の心配してる場合じゃないでしょ」とつぶやくと,「人命も犬の命も同じだ」との反撥が集中したという。 冒頭に挙げたエピソードは,現代日人のこの感性が,少なくとも近世以前から連続性を有していることを示唆している。そして,この

    捨てる勇気の時代と心性 - 岸田 航
  • 問題は「脱原発」ではなく「電力の全面自由化」である

    原発担当相に細野豪志首相補佐官が起用されることになった。彼には「アゴラ」や私のブログをお読みいただいているようなので、あらためて原発をめぐるアジェンダ設定についてまとめておきたい。 まず重要なのは、政府が「脱原発か原発推進か」という不毛な論争に巻き込まれないことだ。原子力は発電形態の一つにすぎず、電力はエネルギーの一種である。したがって、まずエネルギー政策をどうするかという戦略を考え、それにもとづいて電力の供給体制という戦術を考え、そのオプションの一つとして原子力がある。この順序を間違えて、原子力か否かという論争にはまり込むと収拾がつかなくなる。 今回の計画停電で露呈した第一の問題は、電力に過剰に依存した社会は脆弱だということだろう。化石燃料を電力に変換すると効率が落ちるので、オール電化ハウスとか電気自動車などの非効率的な技術を政府が補助することはやめたほうがよい。また計画停電のような統制

    問題は「脱原発」ではなく「電力の全面自由化」である