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ブックマーク / hituzinosanpo.hatenablog.com (3)

  • 差別について。 - hituziのブログじゃがー

    差別。「差別はいけません」。「なくそう差別」。 うーーん。どうなんでしょうね。ちょっと、小山エミ(こやま・えみ、macska)さんの解説を みてみましょう。 macska dot org 差別についての、ごく基的な考え まず、一番大事なこと。わたしは「差別」という言葉で社会の諸制度や、それを含んだ社会システムのことを指す用法を取り、一般に「差別」と呼ばれる個別の行為や発言などは「差別的」と呼んで区別している。つまり、特定の人々に対して「不利益・不平等な扱いをすること」という行為のレベルではなく、特定の人々が「不利益・不平等な扱い」を受けるような社会のありかたを「差別」と呼び、個々の不平等な扱いは「差別的」もしくは「差別行為」として区別している。それは、「差別」とは主に社会のありかたの問題であり、個々の行為や発言などのことではないと考えているから。 いやあ、すばらしい。そのとおりですよね。

    差別について。 - hituziのブログじゃがー
    kowyoshi
    kowyoshi 2009/05/15
    国益厨に対する考え方が、腑に落ちた。あと、某氏の踊りに失笑。
  • 肉を たべたいというのは、動物を ころしてでも たべたいということだ。 - hituziのブログじゃがー

    動物園や水族館で「いってはいけない」ことばがあるそうだ。それは、「おいしそう」だという。なぜそれが、いってはいけない ことばなのか、わたしには理解できない。 ここに単純な事実がある。肉を たべるということは、動物を ころすということだ。肉が たべたいということは、動物を ころしてでも たべたいということだ。ころしたくはないけど たべたいということは、それこそ「いってはいけない」わがままであるはずだ。動物を ころして たべる。それが、肉者の日常なのだ。 わたしも消極的にだが、肉を たべている。だから わたしは動物を ころしていることを わすれるつもりはない。動物の死体を 加工したものが 肉料理である。それを おもいだしたり想像するのが いやならば、肉を たべなければ いいことだ。平気で動物を ころすことができるから、肉を たべているのだ。平気で ころせないなら、なれるまで、平気で ころせる

    肉を たべたいというのは、動物を ころしてでも たべたいということだ。 - hituziのブログじゃがー
    kowyoshi
    kowyoshi 2009/01/18
    とりあえず、「そのとき食えるものを美味しいと思って食う主義」で生きます。
  • エビを たくさん たべるということ。 - hituziのブログじゃがー

    村井良敬(むらい・よしのり)『エビと日人』岩波新書が でて、21年が たちます。1988年に出版された このは、2007年に読編が でています。村井良敬『エビと日人II ―暮らしのなかのグローバル化』岩波新書です。 『エビと日人』を みてみましょう。 えび業界の「現場」の人びとは、大ていのこと、大ていの問題や矛盾を知っている。しかし、現場の声は、いつの間にかかき消され、最終的に「儲かるか否か」だけが、輸入業者の判断基準になってしまう。 乱獲、くず魚投棄、トロール漁への抗議、マングローブ林の破壊、黒変防止の薬剤投与……、こうした事実を「現場」は知りぬいている。だが私たちには、大事件でも起きないかぎり伝わらない。消費者である私たちは、なるべく多くの情報を得て、消費行動をしたい。消費の背後に不公正や搾取、とりかえしのつかない生態系の破壊、あるいは生活の破壊などがあるのを知ったら、その消費

    エビを たくさん たべるということ。 - hituziのブログじゃがー
    kowyoshi
    kowyoshi 2009/01/12
    イカ娘にこの本を読ませると、鬱になって海に帰ってしまうかもしれない。
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