井上 大佑(いのうえ だいすけ、本名:井上祐輔[1]、1940年5月10日 - )は、カラオケの発明者を自称する人物。 近年の研究では、井上よりも先にカラオケを発明、商業化していた人物として根岸重一や浜崎厳(元ミニジューク大阪社長)、北治敏男らの存在が明らかになっており、井上には「初めてカラオケのビジネス化に成功した人物」という評価が与えられている[2][3]。 略歴[編集] 1940年 - 大阪府大阪市に生まれる。 1956年 - 浪速工業高等学校・電気科に入学し、バンドマンとしての活動を始める。 1959年 - 大手証券会社に入社するも、すぐに退社し、再びバンドマンになる。 1968年 - 楽器の教則本販売の会社「ミュージッククレセント」を設立。 1971年 - カラオケ1号機「エイトジューク」を開発。 1972年 - 神戸市で「エイトジューク」のレンタルを開始する。 1973年 -