父の遺影が嫌いだった。遺影に使えそうな写真が見つからず、大勢で写っている集合写真を切り抜き、強引に拡大して遺影に仕立てたおかげで、輪郭がぼんやりとなってしまい、そのモヤっとした輪郭が醸し出す《死んじゃってる感》が本当に嫌だったのだ。父の遺影は、湿気取りとペアで押し入れの奥に押し込まれて、行方不明になっている。 父は徹底的に撮る側の人だった。入学式や卒業式。運動会に演奏会。お正月。家族旅行。父は、ほぼ完璧に撮る側であり続けた。写真を撮られるのが好きではなかったのもあるけれども、構えたカメラの向こうに半分だけ見えた父の顔は本当に楽しそうだったので、自分の家族をフィルムにおさめることが彼の喜びだったのだろう。父が撮る側にあり続けた結果、父と母そして僕ら兄弟、家族4人がおさまっている写真は1980年の冬に油壺マリンパークの写真ブースで撮った一枚しか残っていない。 カメラを構えている父の目は見えなか