「国策捜査」が漂流している。 前回のエントリー記事でとりあげた、小沢一郎の公設第一秘書が逮捕、起訴された問題に関して、民主党、小沢一郎代表の政治的責任問題とは別に、検察の国策捜査のありかたを巡って批判の声が広がり始めている。 「国策捜査」という言葉は、もともと検察の内部用語で、国家の意志・政策、あるいは世論の動向に基づいて訴追ありきという形で捜査をすすめることを意味していた。しかし、この言葉が、マスコミや一般国民にも知られるようになったのは、鈴木宗男事件で逮捕、起訴された元外務官僚、佐藤優氏の「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫) 」が出版され、ベストセラーになってからだろう。 この本の中で佐藤氏は、「国策捜査」というもののありようと、その「罠」にはまった時の個人の無力さを自身の体験をもとに赤裸々に報告している。この本が出て以来、「国策捜査」という言葉は、検察に対する批判