ブックマーク / www.e-aidem.com (8)

  • 【震災から10年】なすびさんと一緒に福島第一原発を見てきた - イーアイデム「ジモコロ」

    2011年に起きた東日大震災と、福島第一原子力発電所の事故から10年。ライターのヨッピーさんが、原発の内部を見学してきました。復興の状況、廃炉への道のり、汚染水(トリチウム水)の処理問題……タレントのなすびさんや、いわき市小名浜の「上野台豊商店」上野臺 優さんの話と共に、現地の様子を伝えます。 先日、福島第一原発に行った。 10年前のあの日、「会社を辞めるぞ!」と決意したこともあって、退職手続きのあれこれに追われていたことを思い出す。 何事も「面倒臭いことは全部後回しにする」というややこしい性質を持っている上、「どうせもう辞めるし」と完全に会社を舐めてかかっていたので退職にまつわる書類の提出も期限ギリギリになって大目玉をらった。 「今すぐ持って行け!」と上司に言われ、しぶしぶ東京の社ビルに出向き、経理課長から「お前はいつも提出が遅い。最後の最後まで……」などとお小言をらっている最中

    【震災から10年】なすびさんと一緒に福島第一原発を見てきた - イーアイデム「ジモコロ」
  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|文・生湯葉シホ #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム

    文 生湯葉シホ 働き方や生き方を見つめ直すとき、なにかを「やめる」選択が自分にとって転機になった、という方は少なくないのではないでしょうか。 「やめたい」という思いが生まれた理由。その決断をするまでに至る過程。実際に「やめた」ことで、自身にどんな変化があったのか。悩んだ末の決断が、自分にとってどんな影響を及ぼしたのか。そんな誰かの「やめた」に焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」をお届けします。 今回は、ライターの生湯葉シホさんに寄稿いただきました。 ***昔から、ほんとうに言われたくないことを言われると、とっさに笑ってしまう癖があった。自覚している性格上の欠点とか、容姿のこととか、家族のこととか、分かってはいるけれどどうしようもないんだよなそれ、ということを指摘されると、決まって情けなくニコニコしてしまう。 当たり前だけど、こちらが笑っていると「あ、嫌がってないんだな」と思われる

    「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|文・生湯葉シホ #わたしがやめたこと - りっすん by イーアイデム
    kumanomiii
    kumanomiii 2020/07/15
    “「ニコニコしちゃうと、ああいうこと言う人はこれから先も別の人に言い続けると思うんですよ」”せやな
  • 阿佐ヶ谷姉妹「大きな野望は持たない。私たちにとって仕事は『思い出づくり』のようなもの」 - りっすん by イーアイデム

    「他人なのに顔が似ている」という理由で2007年にコンビを結成して以来、シュールなネタとどこか力の抜けたスタンスでじわじわと人気を集めてきたお笑いコンビ・阿佐ヶ谷姉妹。近年では阿佐ヶ谷のアパートでの同居(※現在はアパートの隣同士)生活や、老後に友人や家族とひとつのアパートに暮らす「阿佐ヶ谷ハイム」の構想が話題になったりと、おふたりの生き方・暮らし方も注目されつつあります。 そんな阿佐ヶ谷姉妹の姉・渡辺江里子さんと妹・木村美穂さんに、今回は「思い出づくり」として取り組まれているという仕事の話を軸に、下積み時代のことや、外野からの言葉への向き合い方、「息切れしない程度に働く」ためのコツなどを伺いました。 30代半ばまで続いた「モヤモヤ期」 今日はおふたりに、お仕事に対するスタンスやこれまでの働き方について伺えればと思っています。 渡辺江里子さん(以下、エリコ) 私たちって働いてるの? 木村美穂

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  • 銃じゃなくて楽器を持とう! ヤマハの本気が、スラムの子どもをヒーローにした - イーアイデム「ジモコロ」

    南米コロンビア・メデジン市のスラム街に暮らす子どもたちが楽器を練習し、サッカースタジアムで演奏するドキュメンタリー「I’m a HERO Program」。その仕掛け人である楽器メーカー「ヤマハ」を取材すべく、静岡県浜松市へ向かいました。ブランド戦略部の嘉根林太郎さんが語る、プロジェクトの裏側とは…? こんにちは。静岡出身ジモコロライターの田中嘉人です。 今日は静岡が……いや日が世界に誇る楽器メーカー「ヤマハ」の社(静岡県浜松市)にやってきました。 理由は、とある一の映像を観てしまったからです。 その映像というのがこちら。 「I’m a HERO Program」 南米コロンビア・メデジン市のスラム街に暮らす子どもたちが半年間かけて楽器の演奏技術を習得し、サッカースタジアムという憧れの舞台で国歌を演奏するまでを描いた正真正銘のドキュメンタリー。 この映像の舞台となったメデジンは、コ

    銃じゃなくて楽器を持とう! ヤマハの本気が、スラムの子どもをヒーローにした - イーアイデム「ジモコロ」
  • 還暦は節目でもない。打首獄門同好会・junko「いくつになっても頭を振りたいし、騒いでいたい」 - りっすん by イーアイデム

    2004年に結成されたスリーピース・バンド、打首獄門同好会。少し怖い印象を持ってしまうバンド名だけど『布団の中から出たくない』や『日の米は世界一』といった、くすりと笑えてストレートなメッセージを鳴らす「生活密着型ラウドロックバンド」として人気を集め、2018年3月には初の日武道館公演を成功させました。このバンドのベーシストとして活躍するのがjunkoさんです。長い髪を振り乱しながら激しいプレイを繰り広げる彼女が還暦を迎えたと2018年末のイベントで発表された時にはファンはもちろんネット上でも大きな話題となりました。 「特に年齢を隠してきたわけでもないけど、公表していなかった」というjunkoさん。40代後半で加入したこのバンドでの活躍は還暦を迎えてもなおパワフルで、年齢を知った多くのファンの間にもjunkoさんに対する憧れやリスペクトが止まりません。 「年齢」というものに対してためらう

    還暦は節目でもない。打首獄門同好会・junko「いくつになっても頭を振りたいし、騒いでいたい」 - りっすん by イーアイデム
    kumanomiii
    kumanomiii 2019/04/03
    ちょっと前にTwitterでおばさんがライブハウスではしゃいでいるのみっともないってツイが流れてきたけどjunkoさんがステージ上で暴れてるならアラフォーアラフィフおばさんがライブハウスが踊りまくっててもいいじゃない
  • フジファブリック志村正彦と故郷の物語。富士吉田に刻まれた『若者のすべて』 - イーアイデム「ジモコロ」

    バンドの代表曲であり、Bank Bandでカバーされて一層有名になった「若者のすべて」や、映画『モテキ』の主題歌「夜明けのBEAT」などが広く愛されているバンド・フジファブリック。そのボーカルである志村正彦さんは、2009年12月24日に急逝しました。彼の地元である富士吉田で志村さんのことを語り継ぐ人たちの元を、ライターのくいしんが尋ねます。 今でもその日のことを鮮明に覚えている。仕事場のデスクで、訃報を知った。同時に、失うわけのないものを突然失う悲しさを知った。 Twitter訃報が流れ始め、事実を確認するためにバンドの公式サイトをのぞいたものの、サーバがパンクしていて何も見られない──。 参考:志村正彦を愛した皆様へ  http://quishin.com/137/ 上記は筆者が2014年のクリスマスに書いた文章だ。 今から9年前の2009年12月24日。ロックバンド、フジファブリッ

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  • だし愛好家が伝授! 「包丁」「まな板」いらず&だしを楽しむ簡単レシピ(寄稿:梅津有希子) - りっすん by イーアイデム

    文 梅津有希子 いつもよりがんばって働いた日、ふらりと寄り道して家路につく日、何もかも忘れてぼーっとしたい日……そんなとき、こころとからだを癒す時間を設けてみませんか? 疲れを癒す音楽旅行、活力をチャージするごはん、元気をもらうを読んで、気分転換してみては。はたらく人を応援するコラム企画「深呼吸の時間」をお届けします。今回のテーマは、心も体も癒す「レシピ」です。 ▼△▼こんにちは。ライターで、だし愛好家の梅津有希子です。 『だし生活、はじめました。』『もっとおいしい、だし生活。』(共に祥伝社)のような「だし」に関するや、「夜遅く帰っても、これなら作れる」というヘルシー1皿レシピ集『終電ごはん』(幻冬舎/高谷亜由との共著)といったレシピを出しています。 (画像左から)『だし生活、はじめました。』(祥伝社)、『終電ごはん』(幻冬舎) 忙しく働いている皆さんは、「だしをとるなんて無理……

    だし愛好家が伝授! 「包丁」「まな板」いらず&だしを楽しむ簡単レシピ(寄稿:梅津有希子) - りっすん by イーアイデム
  • 「普通」になれず悔しかった社会人生活 救ってくれたのは「エスカレーター」だった(寄稿:田村美葉) - りっすん by イーアイデム

    文 田村美葉 エスカレーターの収集と分類という、謎の趣味を10年ほど続けています。 インターネットの世界では、ほとんどの場合、「エスカレーターの人」として認知されている私ですが、ふだんはエスカレーターとは何も関係ない仕事についており、その社会人生活もなんだかんだと10年を超えました。 今から10年ぐらい前の秋ごろ、大学4年の私は、薄暗い教室に集まった大勢の後輩たちに向けて、「就職活動成功体験談」を語っていました。他の登壇者に比べて明らかに見劣りする自分の内定先に引け目を感じながらもそんな大役を引き受けたのは、所属する研究室の中から1人代表を出すように言われ、単純にその時点で就職が決まっている人が私しかいなかったためです。 10人以上いた同級生たちの進路は、院への進学、他大への進学、留学、就職留年、単なる留年、ミュージシャンになる、まったく不明、など自由気ままで、文学部をストレートに4年で卒

    「普通」になれず悔しかった社会人生活 救ってくれたのは「エスカレーター」だった(寄稿:田村美葉) - りっすん by イーアイデム
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