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哲学に関するkumasuke583のブックマーク (9)

  • [書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹): 極東ブログ

    書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」(参照)のテーマとなるハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者だ。名前からわかるように女性で、若いころは彼女の先生だった哲学者ハイデガーと濃い師弟関係もあった。後年ナチス政権を逃れ、フランスを経て1941年に米国に亡命した。その後米国で英語での主要著作をなし、1975年、期待される大著執筆の途中、68歳で没した。 彼女の思索が注目されたのは、その経歴の刻印にも関係するが、ナチスという政治体制を筆頭に、20世紀の全体主義体制をどのように考えたらよいかという課題に、独自の議論を展開したことによる。その独自性の意味合いと、彼女の最終的な思想の帰結について、書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」は、新書として軽い文体で書かれているものの、明確に描き出していて読み応えがあった。私はアーレントの

  • 若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記

    講談社文庫のツァラトゥストラはハイデガーの註をつけていた。あれがよかった面と悪かった面があるかもしれない。というか、結局ハイデガーを読んでいたようでもあるし。 あのころ、西尾幹二が文壇?というかニーチェ学者として出てきたのだが、私のような高校生レベルで、こ、これはニーチェが読めてねーとか思ったものだった。ツァラトゥストラは四部あり、三部で大きな転調のようなものがある。永劫回帰の問題でもあるし、<正午>の問題でもある。だが、西尾はせいぜい一部で留まっていた。この人には西洋の思想というに取り組む胆力とういのがないのではないかと若造ながらに思った。というか、ハイデガーですらというかハイデガーだからかということもかもしれないが、彼の持つテキストを読み解こうとする妄念のようなあるいは自己規律のようなものが、西尾には感じられなかった。その後の西尾については率直にいってほとんど関心ない。吉が意外に西尾

    若い頃ニーチェをよく読んだ時期があった - finalventの日記
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

    なぜ自分が自分の形を留めていられるかというと、自分を知る誰かがいるから。 誰も自分を知らない場所へ旅するのもいい。そもそも誰一人いない場所を旅するのもいい。だが、いつかは放浪をやめてこの世界のどこかに落ち着かなければならない。さもないと人という存在と疎遠になり最後には自分自身にとってさえ他人になってしまう。 誰かを撮った写真は、近しい人間の心のなかでしか価値を持たないのと同じように、人の心も別の人間の心の中でしか価値を持たず、その人の思い出は、思い出したときにのみ存在するだけであって、思い出す人がいなくなれば、消え去るほかない。 人生は思い出だ、そして思い出が消えれば無になる。だから人は思い出を物語ろうとする―――コーマック・マッカーシーの『越境』を読んでいる間、そんな声が通底音のようにずっと響いていた。 マッカーシーの代表作ともいえる国境三部作(ボーダー・トリロジー)の第二作がこれだ。第

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「不滅」再読

    ホントは「存在の耐えられない軽さ」という題名になるはずだった作品。あ、信じてないでしょ、ホントだよ、ミラン・クンデラ自身が作中で語っているもん。これは小説ではありません。小説の顔をしているけれど、こいつはクンデラの長い長い独り言ですな。 今は昔。ファミコン/スーファミ時代のファイナルファンタジーには、ある傾向がありました。それは、 ・FF1,3,5… 奇数バージョンはシステム重視 ・FF2,4,6… 偶数バージョンはシナリオ重視 という傾向です。クンデラの作品も似てて、 ・第1,3,5… 奇数章は短調。小論、省察、エピソード短編の累積 ・第2,4,6… 偶数章は長調。長めの物語が連なる で、全部で7部で構成されています(7部構成はクンデラの特徴。交響曲を意識してる?) 詩・小説論、文明批判、哲学的省察、伝記的記述など異質のテクストが混交する中を、時空をゆきかい、軽やかに駆け抜けていくポリフ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 「不滅」再読
  • それはニーチェの逆では - finalventの日記

    元⇒世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ - NWatch ver.X ぶくま⇒はてなブックマーク - 世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ - NWatch ver.X 2008年03月18日 fromdusktildawn この話題関連で、もっともすばらしい記事の一つ。/ニーチェじゃのー。 それはニーチェの逆では。 と少し釣られる。 ニーチェ入門 (ちくま新書): 竹田 青嗣 たいていの若者は、時代の中で多くのことに違和感を抱き、異議を申し立て、反感をもち、不平を鳴らし、批判する。そういう場所からやがて思想を扱うようになった人間は、ますます多くのことに異議を申し立て、悲憤慷慨し、批判することになる。世の中はそれほど調和的には出来ていないからだ。しかし、ほとんどの思想家はこの異議や不満を才気に満ちた言葉のうちに遊ばせて(戯れさせて)おく。というのも、もしそれをほんとうに真

  • 物象化論だけど - finalventの日記

    ⇒草日記 - 「はてな村」物象化論 序説 まあ、異論とかじゃなくて、ふと思い出したんで。 ちなみにウィキペディアを見たら⇒物象化 - Wikipedia マルクス自身は断片的な記述しか残していないが、ゲオルク・ルカーチや廣松渉が重要視したために注目されるようになった。 うひゃ、げろ懐かしい。 ほいで⇒[編集] 廣松渉の物象化論 : 物象化 - Wikipedia ま、どうでもいいんだけど、と、はてダを見ていたら。 ⇒オオツカ´ - マルクス主義の疎外論超克説について(mixiの自コミュに書いたもの) 今まで疎外論から物象化論という廣松渉の論点を鵜呑みにしていたんですが、テキストクリティークからすると結構疑わしいみたいですね。 まあ、時代的な制約とか日的な風土とかもあるんだろうけど、ま、廣松渉はちょっとみたいのはある。同じ事はヴェーバーと大塚久雄でもそうかもだけど。 で。 もし、疎外論がマ

    物象化論だけど - finalventの日記
  • 人生とレール - finalventの日記

    ネタ元⇒知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - レールから外れたら人生オシマイ幻想の被害者 といいつつあまり直接的なことではないが。 昨晩、事を作るのも難儀で雑なものをいに出かけ、そのおり、わざと遠回りして荒れた道を歩いていると、カラスウリの花が咲いていた。ぞっとするほど美しく、妖しかった。これはなんだろうと見とれた。写真にするとあの暑い夜を吸い込んだ姿は消えてしまう。 こういう存在が世界にはいろいろある。虫たちや魚たちの不思議な生活もぞっとするほどの美を持っていたりする。そしてその延長に人間の身体があることもある。こうした奇妙な美のようなものはなんだろうか。ただ、それは人生とも社会のレールとも違う。孤独というのも無意味なほど孤独で見えづらいものだ。 私は社会のレールというのから脱輪した失敗者だし、どうもその脱輪感が抜けないだろうというのも諦めている。いや、レールはレールで大切なものじゃ

    人生とレール - finalventの日記
  • Passion For The Future: 群衆心理

    群衆心理 スポンサード リンク ・群衆心理 1895年に書かれた群衆心理学の古典。ル・ボンは、「これからは群衆の時代になる」と20世紀の展開を正しく予言した。すぐれた研究であるが故に、現実の独裁者にも参考にされ、ヒトラー、ムッソリーニ、レーニンらが好んで引用したでもあった。 群衆は衝動的で、動揺、興奮しやすく、暗示を受けやすい。物事を軽々しく信じてしまう。指導者の言葉がうみだす心象(イマージュ)に操られてしまう、など、群衆の一般的性質と特殊的な性質、その原因を説明する。出版から100年以上が経過し、メディアやコミュニケーション手段はめざましく発達したが、群集心理の基はここに書かれた状態とあまり変わってはいないようだ。 群集心理を操る指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかけることで、抗いがたい心象(イマージュ)を人々の心の中に呼び起こす。断言、反復、感染というテクニックがその

    kumasuke583
    kumasuke583 2007/08/08
    ”指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかける”←マインカンプにも書いてあったな
  • Passion For The Future: 「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか

    「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか スポンサード リンク ・「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか 小学6年生の夏休みに、2冊のと出会った。ミヒャエル・エンデ「モモ」とユーリイ・イワノフ「九〇〇日の包囲の中で」。子供心に深い感動を覚えて、それ以来、読書が好きになった。どちらも、今読んでも考えさせられることが多そうな児童文学の最高峰だと思う。 「モモ」は時間とは何かについての深遠な物語である。一般には映画にもなった「果てしない物語」の方がエンデ作品としては有名かもしれないが、「モモ」の方が哲学者としてのエンデの思索の深さを示した作品だと思う。 ・モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 時間を大切にしましょう、節約しましょうと町の人々に説いては、時間の貯金をさせる、灰色の時間泥棒が跋扈する世界。時間泥棒のおかげで、人々はあくせくとせわしない生

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