6月末日の久間元防衛相の「しょうがない」発言は国内で話題になった。しょうがないならディアボロ・ジンジャーでも飲めというお勧めも間に合わぬ内に彼は消えた。が、あの時の発言をちょっと振り返ってみる。同日の朝日新聞記事”久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」”(参照)より。 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。 ここで振り返ってみたいのは、久間の認識として「あの時、原爆使用という選択肢はあり得た」ということがあるとして、では、「これからも国際情勢によって
かもだが。 私は、経済学の基礎というか自然性でよく出てくるモデル、つまり、交換、というのは実はまるで信じていない。というか、あれはある種の理論もモデルであってそれはそれでいいかもしれないくらいにしか考えていない。 あ、つまり、あれですよ。物Aと物Bを交換するのに貨幣がというあの延々たる話、あれ、たぶん、嘘でしょ。 たぶん、最初に貨幣がある。貨幣があって、それが国家を希求する。実際の国家は軍隊というか実質の権力からできそうに見えるが、たぶん、物理的な権力から国家はできないだろうし、貨幣と交易側から国家が要請されるのだろうと思う。 で、貨幣は、ようするに何からでもできてしまう。 で、貨幣とは、基本的に他者の屈辱を買うという倒錯的なエロス性からできているのだろうと思う。 マルクスというか古典の発想では、リンゴがリンゴの木に実っている。それには価値はない。リンゴを取りに行く労働に価値がある。という
私はかなりたぶん痴漢とかいうのはしないというかそういう嗜好がない。が、夏場など女性と限らず骨格をよく見ているというのはある。ま、それもかなり変な話だが。 で、売春と売春に似たもの、たとえば、性産業というのか、そこに差があるのか、あるいは段階があるのか、あるいはスペクトルがあるのか、私は知らない。たぶん、売春というのは古典的には性交を対価させるもので、岸田秀がいうように、育児をしない代価というふうな議論もありうるのかもしれない。 ただ、これは男の性欲の側からすれば、ようするに性欲なるものの対価に見えるので、売春が古典的だろうがどのようなスペクトルがあろうが、けっこうどうでもいいものかもしれない。話をめんどくさくしているみたいだが。 で。 性交でなくても、たとえば、女性の身体を触る、というのでも、その場合、それが対価の商売たりえる。というとき、そこで、違法と商売という契機がある。単純な話、見知
ネタ元⇒知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - レールから外れたら人生オシマイ幻想の被害者 といいつつあまり直接的なことではないが。 昨晩、食事を作るのも難儀で雑なものを食いに出かけ、そのおり、わざと遠回りして荒れた道を歩いていると、カラスウリの花が咲いていた。ぞっとするほど美しく、妖しかった。これはなんだろうと見とれた。写真にするとあの暑い夜を吸い込んだ姿は消えてしまう。 こういう存在が世界にはいろいろある。虫たちや魚たちの不思議な生活もぞっとするほどの美を持っていたりする。そしてその延長に人間の身体があることもある。こうした奇妙な美のようなものはなんだろうか。ただ、それは人生とも社会のレールとも違う。孤独というのも無意味なほど孤独で見えづらいものだ。 私は社会のレールというのから脱輪した失敗者だし、どうもその脱輪感が抜けないだろうというのも諦めている。いや、レールはレールで大切なものじゃ
文化祭でカセットコンロ4台の上に鉄板2枚載せて焼きそばを作っていたらガスボンベが爆発、生徒15人負傷…私立豊南高校
つるっつるに剃りたいのではなく、無精ひげにならない程度にそれれば良いというなら電気シェーバーのがおすすめ。早く剃れるし、剃り跡のひげの長さが均一になるから。 ただ、深剃りをしようとすると、どうしても外側の網に皮膚を押し付けた状態になってしまうから、皮膚を削っちゃうのは確か。 長期的につるつるにそり続けたいならT字のが肌の負担はずっと少ない。 ただ、T字は確かに扱いが難しくきちんと使わないと、カンナみたいに柔らかい肌の表面をごそっと削ってしまう。これが肌がボロボロになってる増田諸氏の状態だと思う。 1.T字できれいにそりたいなら、まずお風呂に5,6分つかるか、やけどしない程度に熱々のタオルを30秒??1分当てて、ひげを柔らかくする。 (熱々のタオルは水含ませて軽く絞ったタオルを電子レンジでチンしましょう) 2.電気にしろT字にしろどうしても多少は肌を削ってしまうため、まわりの雑菌で肌を荒らさ
日本の映画を見ていると「予算が少ないのでは?」と思うことが多々あり、逆に海外の映画、特にいわゆる「ハリウッド大作映画」を見ると「お金かかってるな~」と感じることがあると思います。一体なぜここまで映画にかける予算に差が出てしまうのでしょう? そのあたりの事情を調べてみました。 まず大前提。映画の予算というのは以下のような感じで内訳が成り立っています。これをどんぶり勘定するととんでもないことになり、さらに製作期間が遅延するとべらぼーに予算がふくれあがるわけです。 H-Yamaguchi.net: 映画の予算表 では、まずはハリウッド大作映画の事情から。以下の記事は1999年に書かれた内容ですが、今でも通じるものを含んでいます。 映画の製作費について私が知っている二、三の事柄 アメリカ映画篇 ■製作費高騰の原因 アメリカ映画では、1億ドル級の製作費を要した映画を「ビッグ・バジェット」あるいは「イ
大阪のとあるホストクラブの人気ホストを中心に、密着取材した驚愕のドキュメンタリー映画です。海外の映画ですがちゃんと日本語なので問題なし。 日本では公開されないということなので、日本のテレビ番組などではまず聞けないようなホストのホンネがボコボコ出てくるのでかなり面白い。監督はJake Clennelという方で、海外ではいろいろな賞を取っているほど。さすがにホストクラブのすべてを詳細に突っ込んで解説しているわけではないのですが、かなりよくできてます。 1分ちょっとの予告編と、Google Videoに正式に公開されている本編は以下から。 予告編 海外ではWired Blogsなどでも紹介されていたようで、そこからGoogle Videoへのリンクがありました。全部で1時間16分です。 The Great Happiness Space Documentary 2006 公式サイトは以下にありま
群衆心理 スポンサード リンク ・群衆心理 1895年に書かれた群衆心理学の古典。ル・ボンは、「これからは群衆の時代になる」と20世紀の展開を正しく予言した。すぐれた研究であるが故に、現実の独裁者にも参考にされ、ヒトラー、ムッソリーニ、レーニンらが好んで引用した本でもあった。 群衆は衝動的で、動揺、興奮しやすく、暗示を受けやすい。物事を軽々しく信じてしまう。指導者の言葉がうみだす心象(イマージュ)に操られてしまう、など、群衆の一般的性質と特殊的な性質、その原因を説明する。出版から100年以上が経過し、メディアやコミュニケーション手段はめざましく発達したが、群集心理の基本はここに書かれた状態とあまり変わってはいないようだ。 群集心理を操る指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかけることで、抗いがたい心象(イマージュ)を人々の心の中に呼び起こす。断言、反復、感染というテクニックがその
2007年08月08日10:30 カテゴリ書評/画評/品評Love 書評 - 般若心経は間違い? またも献本御礼。 般若心経は間違い? アルボムッレ・スマナサーラ 私が今まで読んだ中で、私が最も納得が言った般若心経本。 本書「般若心経は間違い?」は、「仏教原理主義者」スマナサーラ長老による、般若心経解説、というより批判。なにしろ、 404 Blog Not Found:書評 - 仏教は心の科学 少なくともスマナサーラ長老にいわせれば、「死者の書」もガセビアだ。 という人である。この人の手にかかると、日本で最もなじみの深いお経といえども容赦がない。 pp. 85-86 それにしても、『般若心経』は、作品として矛盾だらけでガタガタで、前後がつながっていません。 [中略] 師匠がしっかりとした真理を語るなら、弟子たちが訂正する必要はないのです。弟子に守ってもらう先生は、「先生」と呼ぶに値しません
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