※2008.4.10追記 「Ahaus」最新号の注文がホームページで可能になりました。 雑誌「Ahaus」(アーハウス)を知っている方は、モダニズム建築通だ。 青森市で編集・発行されている建築の雑誌。毎回、青森のモダニズム建築に焦点を当てた特集で、通をうならせる。 この雑誌がすごいのは、あか抜けた体裁でありながら、オリジナルの情報で構成されているところである。これまで光が当てられていなかった建築や、知らなかったエピソードを盛り込むことは、労力がかかる。なので、「あか抜けた建築の雑誌」が情報の〈生産〉ではなく、どこかに載っていたあれやこれを見栄えよく組み合わた〈消費〉に向かうのは、しごく当然なのだが、「Ahaus」はそうではない。 「愚直」を言い訳にしない愚直さに、頭が下がる。 1年ぶりとなる第6号の特集は「今和次郎と吉阪隆正 ― 師弟のまなざしと青森の都市・農村・雪」。 特集部分の内容は以
2012年6月末に刊行した『漁師はなぜ、海を向いて住むのか?』が好評だ。著者地井昭夫さんは、早稲田大学建築学科、大学院修士課程・博士課程に学び、吉阪隆正に師事。地域計画家・建築家、さらには漁村研究者という肩書きを持つ。吉阪研究室時代から漁村の集落研究を手がけ、漁民の生活スタイルを活かした地域計画・復興計画にかかわり続け、2006年に亡くなった。 タイトルの「漁師はなぜ、海を向いて住むのか?」は、本文の中でも再三問い続けたテーマ。「海に近いほうが便利だから」とか「海を見て出漁を決めるから」といった理由を却下し、「海への信仰心」という結論を導き出した。漁港は極楽浄土/龍宮城へ行くための〈門構え〉なのだと。 荒唐無稽な考えに思われるかもしれない。しかし、次の文章を読んでほしい。 「集落(村落の意味における)、あるいはムラというものが、私達にとって、〈置き去られたもの〉 〈古いもの〉 〈何とか救っ
無名の民家をたずねて 今和次郎『日本の民家』再訪調査 中谷 礼仁/瀝青会、早稲田大学理工学術院教授(創造理工学部) 今から90年前の1922年、早稲田大学建築学科の教授になりたてだった今和次郎(1888-1973)が『日本の民家 田園生活者の住家』という本を上梓した。当時から失われつつあった日本各地の家々の様子についての記録と論である。今和次郎は最近も回顧展が開かれ(現在は国立民族学博物館にて公開中、6月19日まで)、彼の生活の実相を見つめる態度とその精彩なスケッチが話題となっている。彼は最終的に生活学を提唱したが、彼の本格的な研究作業のはじまりがこの民家調査であった。さて私は、瀝青(アスファルトの意)会という研究組織を組織し、今和次郎『日本の民家』初版に収録されたおよそ50弱の民家のその後を追跡調査を、6年間かけて行った。その作業のまとめを『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社)として、
ひとはく多様性フロアの準備のために資料を再整理していたところ、収蔵資料より今和次郎の直筆の入った図書を発見した。発見した図書について紹介しつつ、今和次郎(こんわじろう)の多岐に渡る活動を既存資料を用いて紹介する。 発見した図書は、建築家・図師嘉彦(1904-1981)宛に贈呈した図書であることがわかる。戦時中、諸工場の労働者向けの良質な住宅を供給することで、労働者の効率を挙げることが考えられ、特に寒冷地で如何にあるべきかを研究することが、日本製鉄会社より課せられた。主に北海道の労務者の住宅を調査した時の旅行記である。今和次郎といえば、いわゆる「民家」というイメージが強い中で、労務者住宅についての研究の一端が紹介されていて興味深い。住宅のみならず服飾への眼差しもあり、服飾研究にも通じるものが見てとれる。 青森県弘前市に生まれた今和次郎(1888-1973)は、民俗学者の柳田國男らがつくった民
大熊喜英(おおくまよしひで 1905~1984)は、私たちが懐かしく思い、親しみを感じるような、いわゆる「日本的な住宅」のひとつの型を戦後復興期に確立した建築家として重要な存在でした。 彼は、たんに日本の伝統的で洗練された木造家屋を受け継いだだけでなく、そこに庶民的で素朴な民家の味わいを加え、さらに新しい技法や材料を取り入れることで、現在の日本人が住みやすい住宅を提示しました。喜英が手がけた住宅は「大熊スタイル」と呼ばれましたが、それは人間のための空間を追求し、住み心地を最優先した住まいでした。 彼は数多くの住宅設計に携わった一方で、大成建設設計部に勤務し、インハウスの建築家として集団を率いて大型のプロジェクトも手掛けていました。 今回の展覧会は、オリジナル図面、写真、模型やスケッチ、手書き原稿などの豊富な資料によって構成され、大熊喜英の作品を仔細に検討します。また、グラフィックデザイン、
史学・民俗学・解釈学──今和次郎再考 | 黒石いずみ History, Folklore, Critical Studies: Wajiro Kon Reconsidered | Kuroishi Izumi カルロ・ギンズブルグ 一九七三年にジョセフ・リクワートが『アダムの家』を著わしたとき、イギリス建築史学会の重鎮E・H・ゴンブリッチは、その書のタイトルが「天国の家」であるのにかかわらず実際は「地上の家」を扱うものだったことを揶揄した。そして、その論理が推測によって異なる文脈にあるものを連結することで成り立っており、歴史を「客観的」体系として語っていないこと、「人類学」に偏っていることを指摘して、建築史とは認めがたいうえに「論争的」で「学術的」ではないと批判したそうである。しかし、史実を記述する行為・記述する人間の認識自体が、時代と地域とに枠付けられているのは明らかである。だとしたら、
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