俺の中で「鏡の法則」が「CLANNAD」や「こなたよりかなたまで」とかと似たような話に見えてしまう件について。 どれも、あざといはなしだけど後ろの二つは鏡の法則と違って先入観にすくわれたっていうか。 つーか、識者が鼻で笑うような単なるお涙ちょうだいだって実はコレだけ注目を浴びるってこと。 結局鏡の法則とCLANNADの差って先入観でしか無いと思う、片方(鏡の法則)が金稼ぎのために書かれたあざとい話でもう片方(泣けるギャルゲ)はあざとさが無いだけ。 鏡の法則はいい話をダシに金儲けしようとしてて CLANNADの場合はいい話そのものが金儲けなだけ。 CLANNADに悪意を感じないのって作品自体に金の匂いがないからなんだよな。 作品そのものが金だから。作品つかって金を作ろうって意図が見えなくなってる。 もう、コレって技術論とかそういうんじゃなくて、涙と奇跡がありゃみんな大満足で勝