ブックマーク / suumo.jp (12)

  • 街の風景が音楽制作の鍵に。韓国のDJ・Night Tempoが魅せられた「東京」 - SUUMOタウン

    構成: 伊藤美咲 撮影: 小原聡太 編集: ピース株式会社 80年代のジャパニーズ・ポップスをダンス・ミュージックに再構築した音楽ジャンル「フューチャー・ファンク」。そのジャンルの人気を押し上げたのが、韓国人プロデューサー兼DJのNight Tempoさんです。 これまでに、80年代の昭和歌謡を中心に、さまざまな楽曲をアレンジした音源を発表してきました。中でも竹内まりやさんの「プラスティック・ラブ」をアレンジした動画はSNS上でも大きく拡散され、2000万回再生を突破するほどの話題に。 日でのメジャーデビューや大型フェスへの出演なども果たし、今年ついに念願の東京移住が実現。Night Tempoさんに、東京への想いやお気に入りスポット、街から得た音楽のインスピレーションについて伺いました。 お話を伺った人:Night Tempoさん 1986年生まれ、韓国出身。米国と日を中心にDJ兼プ

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  • 台湾のまちづくりから日本は何を学べるか。都市計画のキーワードは「夜市」「流動」? 三文字昌也さんインタビュー

    台湾のまちづくりから日は何を学べるか。都市計画のキーワードは「夜市」「流動」? 三文字昌也さんインタビュー 台湾は、日からも飛行機で近く、人気の旅行先です。台湾の活気と雰囲気、台湾グルメを味わえる夜市は定番スポットで、日各地でも台湾に関係するイベントが開催されています。台湾は、中国大陸ルーツの漢人による統治の他、1895年から1945年までの50年間にわたって日が統治するなど、複雑な歴史を有し、街には、それぞれの時代の名残があります。東京大学大学院で、台湾の都市計画を研究している都市デザイナーの三文字昌也(さんもんじ・まさや)さんに詳しく伺いました。

    台湾のまちづくりから日本は何を学べるか。都市計画のキーワードは「夜市」「流動」? 三文字昌也さんインタビュー
  • 漫画家が中古マンション購入をしてフルリノベに至るまで(寄稿:小林銅蟲) - マンションと暮せば by SUUMO

    こんにちは。暮らしてますか? 漫画家の小林銅蟲です。 さて稿ですが、自分が中古マンションを購入してフルリノベーションした話になります。なにが契機になったのか、実際どうしたのか、結局どうなのか。その流れを説明していきたいと思います。 住宅購入に至る経緯 昔の話からになりますが、自分はとなる人の住居(アパート)に転がり込んで主に寝て暮らしており、狭い部屋でお互いまあまあしんどかったので、となる人が何年間か応募をしたのちに、前の住居である県営住宅に当選して10年ほど暮らしていました。 県営住宅は造りは古いですが2人で暮らすぶんには適当な広さもあり、主に寝ていたうちの半分くらいは漫画を描いて生活できるようになったので、自分にとってはいい感じの住居でした。そのまま根を張るかと思われたのですが、空間から突如新しい人間が1名、出現して自分の子と相成りました。 同じタイミングでメインの漫画連載が終了

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  • 13歳、1200世帯マンションの自治会役員になる。楽しんで活動してたら立候補者が倍増!中学生が与えた影響とは? ブリリアシティ横浜磯子

    13歳、1200世帯マンションの自治会役員になる。楽しんで活動してたら立候補者が倍増!中学生が与えた影響とは? ブリリアシティ横浜磯子 神奈川県横浜市磯子区の「Brillia City(ブリリアシティ)横浜磯子自治会」は、約1200世帯のマンション住人で構成される自治会です。 第6期を迎える2022年、同自治会の役員に1人の少女が立候補します。彼女は、鈴木梨里子(りりこ)さん。住人からは“りりちゃん”と呼ばれているのだとか。りりちゃんは、立候補当時まだ13歳でした。同自治会では役員の年齢制限はなかったものの、これまで未成年の役員はゼロ。市が把握する中でも、最年少の立候補者だったといいます。 総会でりりちゃんの役員就任が可決してから1年が経った今、りりちゃんと自治会長の田形勇輔さんに、1年目の振り返りと2年目にかける想い、りりちゃんが役員になって変わったことなどを聞きました。 町内会や自治会

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  • 酒飲みの街、京成立石。再開発とそこでの生活(文・田中鈴) - SUUMOタウン

    著: 田中鈴 京成立石は懐かしい音がした。 改札を出てまっすぐ階段を下りると、商店街が現れてカーンカーンカーンカーンとけたたましく鳴る踏切が出迎えた。走り去る電車を追いかけるように今度はカンカンカンカンと倍速で鳴り始めると、反対側の電車が通り過ぎていく。 商店街は、子どもを後ろに乗せたたくさんの自転車が行き交っていて、お店の人とお客さんの声も聞こえる。昼から飲んでいたのだろう酔っぱらった大人たちの叫び声もアーケード内でよく響く。 そんな京成立石。2028年には高層マンションが建つらしい。 京成立石が苦手だった 京成立石に越してきたのは、21歳のころ。高校を卒業後、「3年で辞める」と決心して入社した品販売の仕事をぴったり3年で辞めて、もう私は自由だった。 親元を離れて一人暮らしをしようか、どこか海外にでも行こうか。いっそのこと、どこか遠くで生活してみるのはどうか、と考えてから、職も決めずに

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  • カルチャーとビジネスが循環する野原ーー混沌の街「中野」| 文・朱野帰子 - SUUMOタウン

    著: 朱野帰子 どこにでもありそうで、ここにしかない街「中野」 中野はどこにでもある街だと思っていた。そうではなかったと気づいたのは小説家になってからだ。 中央線快速「東京行き」に乗れば五分で巨大商業地・新宿に着く。逆の方向、「豊田行き」に乗れば、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺と「住みたい街」として雑誌に特集される街が次々に現れる。でも、その境界に位置する中野には、ぶっちゃけ、みなさん、興味ないでしょ? Hanakoが「中野」特集を組んだことなんか、たぶんないですもんね。 中野で生まれ育った私は、小学三年生の社会科の時間に「私たちの中野」という冊子を配られた。覚えていることはわずかだ。徳川綱吉が出した生類憐れみの令に伴ってつくられた「お犬囲い」がかつて中野駅前にあったこと。その跡に中野陸軍学校が、さらにその跡に警察大学校がつくられたこと。そのくらいだ。 その名の通り「野」だった中野

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  • 気取らない街「中野」は宙ぶらりんで子どもだった私を大人にしてくれた(文・チョーヒカル) - SUUMOタウン

    著: チョーヒカル 職場もないし、どこに引越していいのかわからない 私たちを大人にするのは住んでいる街なのではないかと思う。どこかに友達に連れて行ってもらったり、人と付き合ったりして経験が広がっていくこともあるけれど、親元を離れて自分一人で生きていくなかで、住む街にかかわることほど真に自分に影響することって無い気がする。そして、私を大人にしたのは間違いなく中野だった。 中野に住むことを決めたのは大学を卒業したときだった。同級生たちが次々と就職をしていくなか、私は「アーティスト業」という名の無職になることを決めた。将来の計画なんてなく、「やってみないと後悔しそう」なんて、そんな気持ちだけで真っ暗な海に飛び込むことにしたのだ。 通っていた武蔵野美術大学は東京の端っこ、西武国分寺線の鷹の台という駅にある。学生たちはみんな、在学中はその辺りに住んでいるのだけど、交通の便は悪いし、天然酵母を使ったパ

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  • 16年住んで不満ナシ。マーティ・フリードマンが新宿をトコトン愛する理由 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 古澤誠一郎 写真:小高雅也 日に暮らす外国人は、どのような「角度」から街を見ているのでしょうか。彼ら・彼女らの街に対する愛着や意外な暮らしぶりにフォーカスし、街の魅力を掘り下げるインタビュー企画「日に住んでみた」をお届けします。 ◆◆◆ 今回ご登場いただくのは、新宿で暮らすギタリスト、マーティ・フリードマンさんです。 アメリカで生まれ育ったマーティさんは、世界的なヘヴィメタルバンド「メガデス」で活躍。バンド脱退後は有り余るJ-POP愛から日移住し、音楽というフィールドから日の魅力を発信し続けています。 そんなマーティさんは「日一の繁華街」とも言える新宿に、どのような魅力を見出しているのでしょうか。 日人にとっては当たり前すぎて気づかない「便利さ」や「安全さ」。J-POPにもどこか通ずる雑多さ。そして、「雀荘」や「質屋」の看板を読めるようになり、街の様子が

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    kybernetes
    kybernetes 2021/08/20
    野方はリアルな街
  • 日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「日一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していたphaさんが、2年前にとうとう一人暮らしを始めたそうだ。phaさんを知る人にとっては、ちょっとしたニュースである。 そもそもなぜシェアハウスを始めたのか、どうしてニートの道を歩み続けたのか、そして今はどんな暮らしをしているのか。学生時代から遡って、人からじっくりと話を伺った。 ちなみにphaさんと私の関係は、共通の友人に呼ばれて年に何度か顔を合わせるくらいの薄い関係で、二人きりで会うのは今回が初めてである。 家賃4100円の寮で過ごした京都大学時代phaさんは1978年生まれの42歳(2021年3月現在)。出身地は大阪で、大阪城の側にある高校を卒業後、現役で京都大学の総合人間学部に進学。 最初の一年間は実家のある大阪から京都まで通っていたが、二年目からは伝統的に寮

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  • 酒乱、暴力、流血が日常。1985年の新宿ゴールデン街で過ごした青春。――小説家・馳星周さん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:藤和成 ノワール小説の名手として知られる馳星周さん。 北海道田舎町で育った読書好きの少年は、18歳で上京。同時に、新宿ゴールデン街という、新宿歌舞伎町のなかでも最もカオスな一画に足を踏み入れ、濃密な青春時代を過ごします。 そこを訪れる、身勝手な酔っ払いたちを嫌悪していたという馳さん。しかし一方で、自らを育て、小説家としての礎を築いてくれたゴールデン街には愛憎半ばする特別な感情を抱いているようです。 新宿ゴールデン街で過ごした、青春時代について伺いました。 一通の手紙から膨らんだ、東京への思い ―― 少年時代からの虫だったそうですね。ただ、当時は自宅近くに大きな屋がなかったとか? 馳星周さん(以下、馳):地元は北海道の日高地方。サラブレッドの生産地で、人より馬が多いと言われるような、ものすごい田舎でした。屋も街に一軒しかなく、それ

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  • あの日飛び出した「正しい街」福岡 東京で15年暮らした今だからこそ気付く、街の熱量(寄稿:紫原明子) - SUUMOタウン

    著: 紫原明子 「鳥の羽根が落ちているのをよく見つける人は大丈夫らしい」と友人が言っていた。 どう大丈夫かというと、人生が進むべき方向に進んでいる証拠だ、というのだ。当然全く何の根拠もない大丈夫だけど、ただ落ちてる羽根を見つけるだけでタダで肯定してくれるんだから、まあそんなに悪い話じゃない。 百道浜の観光名所、シーサイドももち 数年ぶりに訪れた福岡市早良(さわら)区、百道(ももち)浜。福岡の中心地である博多からのアクセスがよく、観光地として名高いシーサイドももちの砂浜にも、真っ白な、美しい鳥の羽が落ちていた。お、とほくそえんで、そのまま波打ち際に沿っててくてくと歩く。すると1、2メートルほど先にまた、白い羽根が落ちている。おお、絶好調! と内心ガッツポーズを決め、そのまま1、2メートル進む。すると、そこにもまた同じ鳥のものと思われる白い羽根が落ちている。さらによくよく見ると、周辺には綿毛も

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  • 「浜松」で出会ったのは、夢を追いかけていたころの僕だった - SUUMOタウン

    著: 田中嘉人 「あんたなんかにできっこない。できるわけがない」 母親は、まるで口癖のように僕に言い続けた。 母親がそう言うのも致し方なかったように思う。高校時代の僕は、ただの落ちこぼれ。なまじ進学校へ入学してしまったばかりに勉強は全くついていけず、赤点を取り続けた。スポーツや芸術の才能もゼロ。母親は、さぞ不安だったと思う。 僕が格的に焦りを感じたのは、高校3年になってからだ。次々と難関大学への合格を決める友人たち。偏差値も足りなけりゃ、やりたいこともない。周囲との圧倒的な差を感じたまま、僕の高校生活は終わった。そして、当然のように浪人生活が始まった。 1年後、どうにか滑り込んだのが静岡県浜松市にある静岡文化芸術大学という小さな大学だった。 思い返すと、今僕がライターという道を歩むことになった原点がここにある。僕にとって浜松は、夢を語らせてくれた街だったのだ。 “遠州のからっ風”が心の隙

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