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ブックマーク / ch1248.hatenadiary.jp (3)

  • 嫌儲とWeb性善説 - 花見川の日記

    twitterにて嫌儲が少し話題になってたので、嫌儲の正当性のあるケースを考えてみる。 昔から自分の中で「Web性善説」と勝手に呼んでる構造がある。 WikiPedia辺りがわかりやすいと思うのだけど、「どんな種類の人間だろうと数を集めれば、場所を与えるだけでそれぞれの余暇を用いて、様々な専門的知識・知恵の集積が発露される。」と言われれば、ネットに多少詳しい人間ならピンと来ると思う。例を挙げると、先程のWikiPediaを含め、2chだとこんなことがタダで分かったり、ニコニコ動画だとこんなのがタダで見れたりする。(ニコニコ動画の作品はプロが余暇で作ったものらしい) で、ポイントはこの構造に金の流れが無いこと、もっと言えば金の流れが無いからこそ成り立っているという点。 WikiPediaに関して「金の流れ」を作って運営しようとすれば、余程うまくやらない限りコンテンツはおそらく全てダメになる。

    嫌儲とWeb性善説 - 花見川の日記
    kynbit
    kynbit 2008/01/26
    「Web性善説」と呼ばれる構造についての論考。お金の流れがあっても「気が向いたらやる」という構造が維持できたら理想。
  • 自立と孤独について自分メモ - 花見川の日記

    親父がよく「人は生まれてもひとり、死ぬ時もひとりだ」とよく言ってたんだけど、二日前に色々考えてもうちょいその辺りの理解が深まって吐き気がした。 基的に他人の考えてることというのは自分は理解できない。でも人間というのは寂しがりやだから、言葉があり、さらには絵画や音楽や身体を使って何か伝えようとする。逆のケースもある。 で、「ああ、解った」ということになったとしても当にそれを理解しているかどうか、という保証というか担保は全く無い。その人ともう1人とのその時の関係性というのは再現が不可能だからだ。それを再現するとなると、この世の全てを再現可能なコンピューターを宇宙の誕生から忠実にトレースして、その二人が生まれてから忠実にその人生の足跡を辿り、その二人が出会ってそのやり取りをするところまで忠実に再現しないといけないわけだ。そんなことは自分を含め、今この文章を見ている方々が生きているうちに実現で

    自立と孤独について自分メモ - 花見川の日記
    kynbit
    kynbit 2008/01/26
    自分で何かをやってみないと分からないという事実をどうとらえるかだと思う。ポジティブかネガティブか。
  • ニコニコ動画コンテンツの構造 - 花見川の日記

    ニコニコ動画コンテンツは、おおまかに次のように分類できる。 掛け算型 足し算型 二元連立型 の三種類。「掛け算型」⇒「足し算型」⇒「二元連立型」になっていくほど、複雑になる。 掛け算型コンテンツ 大半のニコニコ動画コンテンツはこのタイプに含まれる。 初期の「陰陽師」や「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」、「患部で止まってすぐ溶ける 〜 狂気の優曇華院」、「キーボードクラッシャー」を含め、最近のものでは「フタエノキワミ」「あんこ入り☆パスタライス」などがある。 基の構造は、 (メイン) × (サブ)これだけ。 「メイン」の部分には先程例を挙げたような「魔理沙」などのニコニコ動画内で有名になったコンテンツが入るが、「サブ」の部分は基的になんでも良い。 例を挙げると、 「魔理沙」 × 「イチロー」=「イチローは大変なレーザービームをペンギンゲットしていきました」 「フタエノキワミ」× 「

    kynbit
    kynbit 2007/12/09
    ニコニコ動画のコンテンツ構造のまとめ。3パターンに分かれる。
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