5月21日、米国のポンペオ国務長官は「オープンスカイズ条約(OST)」から同国が脱退する方針を表明し、国際社会に波紋を広げた。1992年に調印され、2002年に発効した同条約は、締約国が相互の領空に査察用の航空機を受け入れることで軍縮条約の履行などを保障し合う仕組みであり、冷戦終結の象徴と見なされてきた。 では、米国がそこから脱退するという決断を下した背景には何があったのだろうか。本稿ではオープンスカイズ条約の背景、実施の詳細、実施に際しての米露間の軋轢などについて解説しながら、この点について考えてみたい。 「鉄のカーテン」を開く条約 自国の領空に敢えて外国の査察用航空機を入れる、という「オープンスカイズ=開かれた空」のアイデアが浮上したのは、1955年のことである。ソ連のブルガーニン首相と会談したアイゼンハワー大統領が提案したもので、互いに手の内を見せあって先制攻撃の意図がないことを確認
