ブックマーク / jp.rbth.com (15)

  • スターリンの影武者はどうなったか

    高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人

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    l08084 2021/01/22
  • ロシアでもっとも危険な植物のひとつを紹介しよう

    バイカルハナウド(ソスノウスキーのホグウィード)は一見したところ安全で害のないように見え、ディルに似ているからと言って騙されてはいけない。この悪魔のような植物の狙いは、人に泣き叫ぶような痛みを与え、場合によっては死に至らすことである。 ロシア人は夏になると、特別な防護服を身に着け、刃の鋭いスペード(踏みすき)を手に持ち、バイカルハナウド(ラテン名=Heracleum)に立ち向かう。このディルに似た巨大な植物は、命を危険に晒すだけでなく、文字通り道路ぎわから私邸の庭にもどこでも生長する。では、なぜそこまで危ないと言われているのだろうか? バルカンハナウドがロシアにもたらされた背景 第二次世界大戦後の困難な時期、ソ連で農業生産の再興が必要とされる中、バルカンハナウドの物語は始まる。集団農場の指導者たちは、動物たちの飼料問題を抱えており、安価なかいばを求めていた。そして農学者はトルコやジョージア

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    l08084 2020/11/14
  • 戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと

    第二次世界大戦を描いたこの映画は、最も恐ろしく最も難解な映画でもある。一度見たらなかなか頭から離れない。 『炎628』はしばしば戦争映画史上最高の傑作と言われ、間違いなく世界で最も人気のあるソ連映画だ。この映画は第二次世界大戦の一部分を、ベラルーシの十代の少年の視点から描いたものである。『炎628』は劇中ずっと戦争の残酷さを憚ることなく見せつける。リアリズムを徹底したこの映画は、戦時中の人間の暗い所業ほど恐ろしいものはないということを教えてくれる。 この映画を見たことがないなら、絶対に見るべきだ(Russian Film Hubで『炎628』を見るにはこちら)。もし見たことがあっても、これらの9つの事実を知れば、映画がもっと面白くなるだろう。だが気を付けてほしい。最後の事実はネタバレだ。 1. 撮影中、実包を使用した

    戦争映画の最高傑作『炎628』について知っておくべき9つのこと
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    l08084 2020/06/18
  • ロシアの小都市に住む人たちはどのようにして鬱と闘っているのか?

    常に泣きたくなり、常に眠くなり、周りには荒廃と真夜中と酷寒しかないとき、どうやって人生を楽しめばいいのか? 10月から5月にかけて、ドミトリーは毎朝、灰色の5階建ての家を出て、雪溜まりの間を歩き、自分の車に向かう。運転席に座ると、夜の間に冷たくなった車内の寒さに震える。降雪のせいで窓からは何も見えない。と言っても見えるものもこれといってない。外はまだ朝陽も登っていない。 ドミトリーは仕事から帰るときにも太陽は見えないし、これから先、まだ数ヶ月は太陽を見ることもないだろうと考える。 「くそ、くそ、くそ!」と彼はハンドルを両手で叩きながら叫ぶ。もちろん彼の声は誰にも届かない。ただ風がまた雪を吹き上げるだけだ。 ドミトリーは現在26歳。ムールマンスクの海軍に勤務しているが、毎日、極夜によると闘っている。セルビアのズラプ・ケケリゼ記念センターの所長によれば、このような状態にあるのはドミトリーだけ

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    l08084 2020/01/15
  • なぜロシア貴族はフランス語で話したのか?

    「なぜウオッカは…」「なぜプーチンは…」など、ロシアがらみで最も人気の検索語を選んでくわしく解説する「なぜロシアは」シリーズ。今回は、なぜ18~19世紀のロシアの上流階級は、ロシア語よりもむしろフランス語を多く話したのか? レフ・トルストイの大長編『戦争と平和』は、学校の履修プログラムで学ぶ、数ある文学作品のなかでも最大の難物であり続けている。が、それは全4巻という分厚さのためだけではない。「初めてこのを開いてみたら、なんと初めのほうのページの約半分はフランス語で書いてあるじゃないですか!で僕は、これはあらすじを読んで済ましたほうがいいや、と思ったんです」。今23歳のモスクワっ子、アレクセイさんは、学校でのトルストイ体験についてこう語る。 実際、『戦争と平和』は、ペテルブルクの社交界の女王、アンナ・シェーレルのサロンでの会話で始まるのだが、冒頭の半分はフランス語だ。これは作者の思いつきで

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    l08084 2019/11/17
  • ロシア・ビヨンド

    アレクサンドル・ジャダン氏はチャットボットを利用し、マッチングアプリによるパートナー探しのプロセスを自動化した。ニューラルネットワークによる彼のオルター・エゴは5239人の女性とやりとりし、唯一無二の一人を探し出した。

    ロシア・ビヨンド
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    l08084 2019/07/18
  • 第二次大戦後スターリンと衝突したソ連で最も偉大な軍司令官ゲオルギー・ジューコフ

    ゲオルギー・ジューコフは、ナチスを撃退してベルリンを占領したが、この偉大な元帥も、大戦後の共産党指導部内の権力闘争で憂き目に遭った。 第二次世界大戦中最も卓越していたソ連軍元帥のゲオルギー・ジューコフが公職から引退して15年を経た1974年に死去した時、亡命詩人のヨシフ・ブロツキーは『ジューコフの死に寄せて』という詩を書いた。ブロツキーは詩の中で彼のことを「歩兵の隊列を成して外国の首都へと勇敢に踏み込んだが、自国の首都へは怯えながら帰った」者の一人と呼んでいる。 1945年12 月7日。バーナード・モントゴメリー陸軍元帥がロシアの元帥たちに勲章を授ける、ブランデンブルク門で行われたセレモニーの後。ゲオルギー・ジューコフ元帥、バーナード・モントゴメリー元帥、コンスタンチン・ロコソフスキー元帥、ワシーリー・ソコロフスキー元帥。 共有 おそらくこの場合の「怯え」という語は詩的許容だろう。1939

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    l08084 2019/07/17
  • ソ連のマクドナルド第1号店がいかにロシア人を熱狂させたか

    寒空の下、何千人もの人々がただビックマックのためだけに何時間も列をなしていたなんて、今では想像できないだろう。しかし1990年、初めてモスクワにマクドナルドが登場した時、街中はまさに熱狂したのだった。 1990年1月31日、ソ連にマクドナルド第1号店がオープンした。何千人ものモスクワ市民がこの新しいバーガーチェーンに押し寄せた。モスクワの中心部プーシキン広場に出来た列は数キロメートルにも及んだ。

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    l08084 2019/02/04
  • ネットフリックスが購入したテレビドラマ『トロツキー』を見るべき4つの理由

    Alexander Kott,Konstantin Statsky/SREDA Production Company, 2017 メキシコでピッケルを使って殺害されたレーニンの盟友。スターリンの友であり敵であった男。テレビドラマを通して、1917年の革命の指導者の一人がどのような人物だったのかを判断するチャンスがあなたに訪れる。彼は才能溢れる扇動者だったのか、悪魔だったのか、はたまた権力に飢えた無原則的な闘士だったのか。 トロツキーとその扇動の才能なくして、ボリシェヴィキは政権を握ることも、堅固に政権を維持することもできなかっただろう。レーニンの死後、党内の権力争いで勝利をつかんだのはスターリンだった。かつて強力な指導者だったトロツキーは、スターリンにとって不都合な人物だった。トロツキーはアルマ・アタに追放され、そこからトルコへ逃げてしばらくヨーロッパで過ごした後、1936年にとうとうメキ

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    l08084 2018/12/21
  • 共産主義空手:なぜ本来の空手より残酷で血生臭かったか - ロシア・ビヨンド

    どちらかと言えば残忍な市街戦と共通点の多かったソビエト版空手は、ソビエト地下社会の住人の間で大変人気があった。しかし、これはソビエト政府の極めて否定的な反応を招き、この競技はついに禁止された。

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    l08084 2018/09/21
  • 「犬の頭をぶら下げた人々」

    イワン雷帝の親衛隊「オプリーチニキ」は、国の支配層さえも恐れおののかせた。彼らの言葉は判決に等しかった。 イワン雷帝(4世、1530~1584年)の親衛隊「オプリーチニキ」は、ロシア中世の一つのシンボルだ。大量の処刑、ツァーリの「敵」の迫害、財産没収…。この親衛隊の権限は途方もないものだった。この中世の黒衣に身を包んだ「特務機関」はどうやって生まれ、何をやっていたのか? ツァーリのためとあらば水火をも辞せずという、仮借ない、残虐なこの連中は、国中を恐怖のどん底に陥れた。彼らの言葉は、裁判と警察よりも重かった。彼らの馬の首には、犬の生首がぶら下げられており、その服は、教会の黒衣を思わせた。身分の上下を問わず、誰にとっても、彼らが家の閾に現れたときほどの恐怖は、この世にはなかった。 イワン雷帝時代におけるボヤールの処刑。V.V.ヴラジミロフ(1880‐1931)、水彩画、リャザン国立ポジャロス

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    l08084 2018/09/05
  • ツァーリの宮廷の黒人たち:詩人プーシキンの曽祖父ガンニバルなど

    ロシアの大詩人アレクサンドル・プーシキンには、アフリカ出身の先祖がいた。そして黒人の廷臣はほかにもたくさんいた。 「彼らは、若い黒人をまるで奇跡のようにじろじろ眺め、ぐるりと取り囲み、挨拶と質問を山ほど浴びせた。だが、こうした好奇心が彼の自尊心を刺激した。彼は自分を希少動物か何かのように感じた」 19世紀の大詩人アレクサンドル・プーシキンは、歴史小説『ピョートル大帝の黒人』で、黒人の廷臣アブラム・ガンニバルをこう描いている。 プーシキンには、この小説を書きたかった個人的な理由があった。アブラムは歴史的人物で、アフリカの黒人奴隷から身を起し、後にロシアで出世して貴族となり、軍人(少将)、政治家(タリン総督)として国に貢献した。なお、プーシキンは彼の曾孫だった。 奴隷から総督へ 以来、何世紀も過ぎた。正確にアブラム・ガンニバル(またはイブラヒム・ガンニバル、1696年~1781年)がどこの出身

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    l08084 2018/09/01
  • 上空で撮影されたロシア航空機の写真10枚

    モスクワの航空技術者兼写真家アレクセイ・ナガエフさんは、ロシアの航空機の珍しい写真を10年以上撮影している。

    上空で撮影されたロシア航空機の写真10枚
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    l08084 2018/04/10
  • ロシア帝国軍で最も勇猛果敢だった軽騎兵連隊

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    l08084 2018/03/19
  • 死後の世界でチャーチル、ヒトラー、スターリンが会う:ソクーロフ新作映画の構想

    死後の世界でベニート・ムッソリーニ、アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、ウィンストン・チャーチルが出会う様子を想像してみてほしい。彼らはいったい何を話すのだろうか?これが、現代ロシアを代表する映画監督の一人、アレクサンドル・ソクーロフの新作の構想で、公開は2019年頃になる予定だ。 歴史事件の根源を見つめるファンタジー アレクサンドル・ソクーロフ監督が、こうしたアイデアにもとづいて映画を作る狙いは、歴史事件をよりよく理解することだという。 映画の中で登場人物たちは、生前に起きた事件をただ思い出すのではなく、世界大戦を引き起こした諸事件について語り合い、意見を交わす。 「これは幻想的な映画だが、実際に起きた事件がそこに反映されている」。映画の共同製作者アリョーナ・シュマコワはタス通信にこう語った。 ソクーロフは、これまでにも駆使していた、ドキュメンタリー映像を長編映画に取り込む手法を

    死後の世界でチャーチル、ヒトラー、スターリンが会う:ソクーロフ新作映画の構想
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    l08084 2017/12/29
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