仲俣暁生さんのツイートを見て、若者に、カネはなくても時間があった時代のことをふと思い出した。 とりわけ文化的だったとは思わないけど、我々が若い頃は、カネはなくても、ほぼ無限に時間が有り余っていた。その余裕こそが社会の豊かさだったのかも。当時も批判的にも使われていたモラトリアム(支払猶予)という言葉は完全に死語になった感アリ。いまは即金で支払わされる。 https://t.co/3TwuIuj0m0 — 仲俣暁生(『失われた「文学」を求めて』続編企画中) (@solar1964) April 8, 2023 私の大学時代も概ねそうだったと言え、今日は疲れていると感じたら一日じゅう寝ている日があった。どうしても攻略したいゲームがあるわけでもないのに朝から晩までゲーセンにいて、所在なく、「ひまつぶしのために」ぼんやりパズルゲームを遊んでいた日もあった。 無限に時間があったわけではないが、なんにで
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