東日本大震災後、石巻市大川小を設計した建築家の北沢興一さん(79)=東京都渋谷区=は「大川小設計者」であることを名乗れずにいた。今年3月、震災遺構として被災した校舎の保存が決まり、心境に変化が生まれたという。5年に及ぶ沈黙を破った北沢さんと9月下旬、同校を訪ねた。(報道部・畠山嵩) <児童74人と教職員10人が津波の犠牲となった大川小を震災直後に訪ねたが、「大川小設計者」だと名乗れなかった> 目立たぬように校舎の被災状況を見て回りました。焼香を終えると、外国人の記者から「学校とはどういう関係か」と聞かれました。遺族の心情を考えると、とても「大川小設計者」とは名乗れず、足早に学校を後にしました。 今年3月に震災遺構として校舎の保存が決まり、取材に応じてもいいと思うようになりました。昇降口や児童が集うアセンブリーホール、低学年の教室はあまり傷んでおらず、修復は可能です。例えばホールを修繕
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