「少年ジャンプ読めます!! 1冊だけあります」 東日本大震災の直後、仙台市の書店に張られた手書きのメッセージを見て、たくさんの子どもが集まりました。 物流が止まる中、店主が入手した最新号の1冊は、ボロボロになるまで店頭で読まれ、後に“伝説のジャンプ”と呼ばれるようになりました。 被災地の子どもたちに笑顔と安らぎを与えたまちの書店が、惜しまれながら店を閉じたのです。 (仙台放送局記者 吉原実)
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話題の『紙つなげ!』がついに7万部突破とのニュースが入ってまいりました。おめでとうございます。そこで、勝手に応援団を名乗るHONZも石巻工場におじゃますることに。ついに、あのマシンに会える――まずは東北新幹線で仙台へ! 胸アツ取材のはじまりです。 すでにHONZでもレビューが何本かあがっているので、事情はご存知かもしれません。 日本製紙の石巻工場が、あの震災の津波に流され壊滅状態だと聞き、出版に携わる者すべての足下が揺らぎました。この工場だけで出版用紙の2割にも達する生産を誇っていたからです。が、物語はそこからです。奇跡と呼ぶに値する復活、それが本書には描かれています。 今回は本の主人公、「8号抄紙機」に焦点をしぼってご紹介いたしましょう。この8号こそが、石巻工場の中でも、単行本、文庫、コミックなどに使用されるさまざまな用紙をつくり、日本の出版書籍用紙の1割近くを生み出していた、本好きにと
今ここに、数冊の文庫本がある。角川グループパブリッシング発行、どれも2011年3月以降に印刷されたものだ。私の目には、他の文庫本とそれほど違いはないように見える。軽く、柔らかい文庫本。しかし、印刷された物語とはまた別の、ある物語を秘めた本。今ここにあるこの本は、もしかしたら未曾有の大震災を奇跡のように生き残った紙で作られたものかもしれないのだ。 2011年3月11日、14時46分。東北地方を襲った地震と津波。いわゆる東日本大震災は、宮城県石巻市に大きな被害をもたらした。石巻市の当時の人口は16万2822人、総務省統計局によれば津波による浸水範囲内人口は11万2276人、石巻市の発表した震災による死者は3270人、行方不明者は436人。数字で見るだけでも、恐ろしいことが起こったとわかる。そしてこの震災は、石巻市にあった日本製紙の基幹工場である石巻工場にも、壊滅的な被害をもたらしていた。 敷地
「この工場が死んだら、日本の出版は終わる・・・」 こんな帯が巻かれた本を書店で見て、手に取らずに店頭を通り過ぎることができる本好きは少ないであろう。その工場とは一体どこにあるのか。なぜ日本の出版は終わってしまうのか。そしていまだに日本の出版は終わっていない理由とは。表紙には巨大なマシンと誇らしげな人々と千羽鶴。 ひさしぶりに読みはじめる前から身が引き締まる思いがする。これは2011年3月11日壊滅的な打撃を受けた日本製紙石巻工場再生の物語である。 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹(文藝春秋) 『永遠の0』百田尚樹(講談社文庫) 『天地明察』沖方丁(角川文庫) 『ロスジェネの逆襲』池井戸潤(ダイヤモンド社) 『ONE PIECE』尾田栄一郎(集英社) これらの本に使われている印刷用紙はすべて日本製紙石巻工場で作られていた。担当していたのは8号抄紙機といわれるマシンだ。全長
今野 晴貴『断絶の都市センダイ ブラック国家・日本の縮図』(朝日新聞出版)をお送りいただきました。ありがとうございます。 http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=15975 この国には善意も、絆も存在しない。復興バブル、支援ビジネス、貧困と孤独。仙台を見れば?断絶された僕ら?が見えた。こんな国に必要な新しい「つながり」とは? 『ブラック企業』で大佛次郎賞受賞の著者、渾身の衝撃ルポ。 出版社がつけたんだと思いますが、「 『ブラック企業』で大佛次郎賞受賞の著者、渾身の衝撃ルポ」というのはいささかミスリーディング。今野さんも序章と第3章の後半と終章を書いているので著者の一人には違いないのですが、これではまるで今野さんの単著みたいな言い方です。 リンク先には共著者名も書かれていないので、ここでちゃんと明記しておきますと、 生々しいルポの第
二〇一一年三月十一日に勃発した東日本大震災にさいして、地元紙・河北新報が、震災にいかに対応し、何をどう伝えたか……を克明に記すドキュメントである。 河北新報は、宮城・仙台を本拠に、東北各県をエリアとするブロック紙である。震災で本社の建物は持ちこたえたが、沿岸部にある支局や販売店は軒並み被災した。販売店でいえば、店主が死亡した店が三店、全壊が十九店舗。配達員など従業員で亡くなった人が宮城県内で十五人、行方不明者九人と、すさまじい数に達している。新聞社は文字通りの被災者でもあった。 自家発電によって本社ビルの電力は維持されたが、組版サーバーは使えず、水、食料、ガソリン、刷り紙……が窮乏するなか、号外を出し、翌日の朝刊を出し、以降も新聞は途絶えることなく発行され続けた。 それは、記者、カメラマン、デスクなどの編集部門だけではなく、支局、総務、販売、輸送など新聞社を構成する全部局の総力によって維持
伝説の「ジャンプ」 仙台の書店主が集英社に譲渡 店内で当時の様子を語る塩川さん。「伝説のジャンプ」ゆかりの店として訪れるファンもいるという=仙台市青葉区の塩川書店 「読めます!!」の文字が躍る貼り紙=3月28日 東日本大震災で物流が止まり本が入らなかった時期、仙台市内の書店で子どもたちが夢中になって読んだ「少年ジャンプ」が、出版元の集英社で大切に保管されている。店主は年の瀬に「子どもたちを元気づけたい一心だった」と振り返る。 塩川書店五橋店(青葉区)の塩川祐一さん(48)は、3月11日の震災から3日後、在庫だけで店を再開した。近所の人に「テレビは悲惨な映像ばかり。子どもに漫画や絵本を見せたい。いつ開くの」と尋ねられたのがきっかけだった。 店は新刊漫画を求める客が後を絶たなかった。特に「ワンピース」などを連載する少年ジャンプ目当ての人が多かった。 「伝説のジャンプ」が生まれたのは21日
3月11日に発生した大きな地震を、僕はオフィスで迎えた。 僕のオフィスはもともと活版印刷機を回していたビルなので、古いが大変に頑丈な作りをしている。ゆっくりと増幅しながら粘る揺れは、最初は水平方向に縦横に、次いで垂直方向を混ぜた立体的な揺れに変化して、オフィスを気持ち悪く揺さぶった。 僕のすぐ後ろの棚はシート(断裁等していない刷ったままの印刷物)を吐き出し続け、書棚は不恰好なダンスを踊っては壁にぶつかって音をたてた。重い原本棚が摺り足でせり出してくる。上司が「ついに来たか!」と叫んだ。 幸い社屋の損傷は軽微で、けが人も出ることはなかったが、総務部の判断で16時をもって社員は解散ということになった。その一方営業に出たきり連絡の取れない社員もあり、また顧客に呼ばれて出て行くものもあった。こんな時に営業にきたと得意先でアイドルになった営業もいる。 後に聞いたところでは東京西部と埼玉にある印刷現場
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