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廃墟とイタリアに関するlaislanopiraのブックマーク (10)

  • 忘れられ荒廃していた初代ローマ皇帝の廟、修復経て一般公開

    【4月9日 AFP】初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)の巨大な霊廟(れいびょう)が数百年ぶりに修復され、イタリアの首都ローマで先月から一般公開されている。 テベレ(Tiber)川岸にそびえるこの霊廟は、紀元前28~23年、アウグストゥス帝のために建てられた。アウグストゥス帝は40年に及ぶ在位中にローマ帝国を築き上げた人物で、古代ローマの将軍・政治家ユリウス・カエサル(Julius Caesar)は大おじに当たる。 円柱状の基礎部分の直径は約90メートル。かつては上部にイトスギの木がずらりと植えられ、最上部にはアウグストゥス帝の銅像が立ち、廟全体の高さは45メートルほどあった。 アウグストゥス帝とリウィア(Livia)が埋葬されている中心部の部屋は、当初は表面が大理石とトラバーチン(石灰岩の一種)に覆われており、その周囲には一族を埋葬する墓室も用意されていた。 ローマ帝国が滅

    忘れられ荒廃していた初代ローマ皇帝の廟、修復経て一般公開
  • 被災地を丸ごとコンクリートで封じ込める。地震で廃墟化した町を封じ込めた巨大アート

    1968年1月半ば、イタリアのシチリア島西部にて発生したM5.5のベリーズ地震は、およそ400名の死者と1000名近くの負傷者を出した局地的な地震だった。 なかでも最も被害が大きかったジベッリーナ町の住民は、壊滅状態になった町でプレハブ住宅でおよそ10年近く生活したのち、復興が望めない町から離れた。 それからしばらくし、ジベッリーナは生まれ変った。かつて住人が暮らしていた町は、アルベルト・ブッリにより厚い灰白色のコンクリートで覆われ、巨大なランドアートとなったのだ。 これは、震災で命を落とした人々の追悼碑でもあり、震災を忘れないようにするための意味合いが込められている。廃墟となった町並みを丸ごと封じ込めた大胆なモニュメントはいくつかの物議を醸しているものの、見る者を圧倒する迫力を秘めている。 イタリアのシチリア島にある州都パレルモから約70km西に、丘の斜面を抱くように広がる巨大なコンクリ

    被災地を丸ごとコンクリートで封じ込める。地震で廃墟化した町を封じ込めた巨大アート
  • 壊れゆく豪華客船コスタ・コンコルディア

    写真家ジョナサン・ダンコ・キエルコースキーは、引き揚げられたコスタ・コンコルディアに忍び込んだ。そこで彼が撮らえたのは、醜くも美しい廃船となったコスタ・コンコルディア号の姿だった。船に忍び込むまでのいきさつ、幽霊船に乗船した感想を彼は語ってくれた。 どうしてコスタ・コンコルディア撮影のアイディアが浮かんだのですか。 コスタ・コンコルディアの座礁事件以来、ずっと興味があった。どうしたらあんなに巨大な物体が、ささいなミスと、ちょっとした岩にぶつかるだけで転覆するのか不思議でしょうがなかった。それから、海底から船を直立に起こすための技術、500人もの作業員、9,600億円を超える作業費用も気になっていた。解体のため、船がジェノバ港に運ばれたのを知って、見てみたくなったんだ。 見るだけでなく乗り込んだんですね。 1度目ははうまくいかなかった。沿岸警備隊に捕まって、引き返すしかなかった。2週間後にも

    壊れゆく豪華客船コスタ・コンコルディア
  • 座礁したイタリア最大のクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」、引き上げ後の船内の様子 : カラパイア

    イタリア史上最大のクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」は、2012年1月13日、イタリアのジリオ島付近にある浅瀬で乗員乗客4229人を乗せたまま座礁・転覆事故を起こした。出航日の夕時に起きた事故で上客の多くが海に飛び込み、32人が犠牲となった。 2013年9月16日には、島の沖合に横たわったままだった船体を引き起こす史上最大の作業が行われ、その翌年の2014年7月20日、今度は船体を水に浮かせる作業が行われ、ジェノバの港へ向けて出発した。現在はジェノバで2年がかりの解体作業が行われている最中である。 そんな中、水没していたコスタ・コンコルディアの内部の写真が公開されていた。

    座礁したイタリア最大のクルーズ客船「コスタ・コンコルディア」、引き上げ後の船内の様子 : カラパイア
  • 退廃の美。ヨーロッパ各地の息をのむような美しい26の廃墟写真

    写真家のマット・エメットは、ヨーロッパ中を旅しながら、見捨てられ誰にもかえりみられることのない場所に不気味な美を見出そうとしている。これまでエメットは、廃ホテルから発電所まであらゆるものを撮ってきたが、未知の場所に入り込むときは、必ずまずその歴史について調べるという。自分が撮影する場所に秘められた歴史をも写し出すためだ。 このようなすばらしい場所にひとり、あるいは少人数でいることがとても楽しいとエメットは語る。見捨てられた廃墟に漂う雰囲気は、彼にとってアンコールワットやマチュピチュの世界に匹敵するという。 1.北イタリアの廃精神病院の屋根からの眺め。 この画像を大きなサイズで見る 内部にはたくさんの医療機器がいまだに残っている。 2. イタリアの私邸にある荒廃したチャペル この画像を大きなサイズで見る 3. ベルギーの冷却塔内部 この画像を大きなサイズで見る 4. 廃工場のクレーン この画

    退廃の美。ヨーロッパ各地の息をのむような美しい26の廃墟写真
  • アウグストゥスの家 - Wikipedia

    アウグストゥスの家(ラテン語: Domus Augusti ドムス・アウグスティ)は、イタリア ローマのパラティヌスの丘(パラティーノの丘)にあるローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの邸宅跡。 1世紀末にドミティアヌス帝が建てたドムス・アウグスターナ(皇帝の家)とは隣接しているが全く別の施設であり、アウグストゥスの生家(アウグストゥスの家と表記する資料もある)とも別である。 オクタウィアヌス(後のアウグストゥス帝)は、カエサル暗殺に対する復讐がある程度決着がついた紀元前36年にパラティヌスの丘にあった元老院派クィントゥス・ホルテンシウス(英語版)の邸宅跡を買い取り、自身の住居とした。アウグストゥスはこの邸宅で伝統的で華美に走らない生活を送ることで、世間に対し権力者の謙虚な姿勢を示した。この邸宅はロムルスの家(英語版)などローマ建国伝説の地の遺跡にほぼ隣接して建てられていて、その建物は2階建てで

    アウグストゥスの家 - Wikipedia
  • 転覆した客船コスタ・コンコルディア、引き揚げ始まる 伊

    イタリア・ジリオ(CNN) イタリアで昨年1月に座礁・転覆して32人の死者を出した客船「コスタ・コンコルディア」を引き揚げる作業が16日から始まった。当局者によると、現地時間の17日朝までには横倒しになっていた船体を水平に起こすことができる見通しだ。 コスタ・コンコルディアは総トン数11万4000トン、全長約290メートル。2012年1月にイタリアのジリオ島沿岸で座礁し、半分海に浸かった状態で沿岸の岩の上に横倒しになっていた。 船体は16日夕刻までに約25度引き起こされ、側面に取り付けた金属製の容器に海水を注入。その重みを利用して、海底に設置した作業台に船体を載せる作業が進められている。 同船には乗客乗員4200人が乗っており、このうち32人が死亡した。インド人の男性船員(33)と、50歳の誕生祝いに乗船していた女性乗客の2人はまだ発見されていない。 船体が岩から離れた時点で損傷の程度を調

    転覆した客船コスタ・コンコルディア、引き揚げ始まる 伊
  • 撤去開始の大迷惑客船、失敗なら「真っ二つ」…食料残骸などで海洋汚染も+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

    世界が注目するなか、撤去作業が始まった豪華客船「コスタ・コンコルディア号」。側面に取り付けられた浮き箱に海水を注入しながら船を水平な状態に引き起こす計画だ=16日、イタリア・ジリオ島(ロイター) 2012年1月にイタリア中部ジリオ島付近で座礁・転覆し、死者・行方不明者32人を出した大型豪華客船「コスタ・コンコルディア号」の撤去作業が16日、開始された。横倒し状態になった全長290メートル、重さ11万4000トンもの巨大船体を水平の状態に戻して現場から曳(えい)航(こう)し、解体する「世紀のサルベージ(引き揚げ)大作戦」だ。費用は建造費を超える6億ユーロ(約792億円)に上る。18カ月も野ざらしにされており、引き起こし時に船体が壊れ、有毒物質などが流出する懸念もあり、多くの欧米メディアが生中継を行うなど全世界がその成否を注視している。(SANKEI EXPRESS) 専門家500人集結 「費

  • クラーコ - Wikipedia

    クラーコのストリート 10世紀、東ローマ帝国治下のこの地域では、イタリアの修道士たちによって農業が営まれるようになった。 都市の名が最初に記録されるのは1060年である。この街はトリカーリコの大司教アーナルドが治めており、「小さな耕地」を意味する Grachium の名で呼ばれていた。クラーコの地名はこれに由来する。教会による長い統治は、この地域の人々に大きな影響を与えた。 1154年から1168年にかけて、この街の支配はノルマン人と推測されるエルベルト(Erberto)に移った。エルベルトは街の最初の封建領主であった。その後1179年には、Roberto di Pietrapertos がクラーコの領主となっている。1276年には街に大学が設立された。13世紀の間には Attendolo Sforza の指示によって、街のランドマークとなっているクラーコ城が建設されている。 フェデリーコ

    クラーコ - Wikipedia
    laislanopira
    laislanopira 2013/08/07
    地震で放棄された、丘の上の廃墟。なにこれすごい
  • 水没しながらも神々しさを放つ沈んだまま眠る世界7つの教会|カラパイア

    信じるものが祈り、その心を支え拠り所となる教会。神の手がかかった教会には様々な逸話が存在するが、水害などによりその建物が水浸しになりながらも、凛として神々しいオーラを放っている教会は、また新たなる伝説を築き上げているんだ。 ソース:7 Incredible Drowned Churches ベネズエラ ポトシ教会 1985年の大洪水によりその姿を全て消すも、2010年の旱魃により再び姿を現した この画像を大きなサイズで見る マケドニア 聖ニコラス教会 1850年に建造され153年間、人々の祈りを支えてきたが人工湖の設置により水没。ところが21世紀、旱魃により再び姿を現した この画像を大きなサイズで見る インド 聖ロザリオ教会 1860年代に建造されるも1960年代のダム建設により水没。しかしながら毎年モンスーンの後その姿を現すという。 この画像を大きなサイズで見る ブラジル Petrola

    水没しながらも神々しさを放つ沈んだまま眠る世界7つの教会|カラパイア
    laislanopira
    laislanopira 2011/05/05
    ダム湖がほとんど 自然災害は一つだけ
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