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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (2)

  • 「階級小説」としてのハリー・ポッター - 擬似環境の向こう側

    小説映画もずっと前に完結したハリー・ポッターについて、なんで今さら書くのか。はっきり言って特に理由はない。あえて言えば、今日読んでた論文に“scrounger”という単語が出てきて、「ああ、これハリポタでも出てきたなあ」と思いだしたというのが最大の理由だ。 さて、エントリのタイトルの通り、ハリポタは階級小説である。階級小説というのは、要するに社会階級の存在を中心的なテーマとして描く作品で、イギリスに数多く存在すると言われる。日のマンガでも、金持ちのボンボンとメイドとの恋を描いた『エマ』は階級マンガと言えるのではあるまいか。そして、ご多分に漏れず、イギリスで生まれたハリポタという作品も階級小説として読むことができる(たぶん)。 というわけで、以下はネタバレ満載なので、これからハリポタを読もう(見よう)と思っている人は止めておいたほうが無難だし、そもそもハリポタに興味がないという人にとって

    「階級小説」としてのハリー・ポッター - 擬似環境の向こう側
    langu
    langu 2014/11/17
  • 分析の封殺 - 擬似環境の向こう側

    再帰的な被告人 えらい文章を読んでしまった。『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述である。ネットで話題になったので、読んだ人も多いだろう。 「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開 「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2 ぼくがこの文章を読み進めているうちに最初に思い出したのは、朝日平吾の事件だ。1921年9月、朝日は実業家・安田善次郎を刺殺し、その場で自殺している。橋川文三は『昭和ナショナリズムの諸相』という著作でこの事件を取り上げ、大衆社会論の枠組みを使って以下のように論じている。 朝日平吾の場合には、自己の存在が完全に断片化され、原子化された人間以下のものであるという強烈な挫折感がいだかれていた。… 朝日をつき動かした衝動は、逆説的な意味で不遇な大衆層のデモクラシー(=人間としての平等化)の要求を反映したものであり、伝統的な要因によって形成されたいっさいの人間的

    分析の封殺 - 擬似環境の向こう側
    langu
    langu 2014/03/18
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