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ヨーロッパと歴史に関するlatteruのブックマーク (5)

  • まだ生きているような欧州のミイラ、続々と判明する暴力と死の謎

    デンマークのシルケボー近くの泥炭地で発見されたトーロンマンの穏やかな死に顔の裏には、約2000年前の暴力的な死因が隠されている。同じ泥炭地の中で保存されていた革紐は、彼が絞殺されてから湿地に投げ込まれたことを示唆している。(ROBERT CLARK/NATIONAL GEOGRAPHIC IMAGE COLLECTION) 1640年にドイツのホルシュタイン地方で初めて発見されて以来、まるで生きているかのようなヨーロッパの「湿地遺体」は人々を魅了し続けてきた。アイルランド、英国、ドイツ、オランダ、ポーランド、スカンジナビア、バルト三国から、これまでに約2000体を超える湿地遺体が発見されている。だが、2023年1月10日付けで考古学の学術誌「Antiquity」に発表された画期的な論文は、この数字は控えめで、実際の数ははるかに多いかもしれないと推定している。 湿地遺体は私たちに、遠い過去と

    まだ生きているような欧州のミイラ、続々と判明する暴力と死の謎
  • 中世の写本に「カタツムリと騎士の戦い」が大量に描かれているのは一体なぜ?

    13世紀後半から15世紀のヨーロッパの写には、なぜかドラゴンでも悪漢でもなくカタツムリと戦う騎士の姿が数多く描かれています。の内容や文章の趣旨とは無関係なことが多い謎の挿絵について、イギリス・ウェールズのバンガー大学で中世文学を研究しているマデリン・S・キラッキー氏が考察しました。 Why medieval manuscripts are full of doodles of snail fights https://theconversation.com/why-medieval-manuscripts-are-full-of-doodles-of-snail-fights-206255 キラッキー氏によると、カタツムリとの戦いが最初に見られるのは、1290年ごろの北フランスで制作された彩飾写とのこと。それから数年すると、似たような挿絵がフランドル地域やイギリスなどヨーロッパ各地の

    中世の写本に「カタツムリと騎士の戦い」が大量に描かれているのは一体なぜ?
  • 【朗報】イギリス史、ガチで面白い なぁお前らなんでイギリス史勉強しないんだ? : 哲学ニュースnwk

    2023年04月19日10:00 【朗報】イギリス史、ガチで面白い なぁお前らなんでイギリス史勉強しないんだ? Tweet 1: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:21:39.14 ID:8lq9fdGWa【悲報】巨頭オ、発見されてしまう【ガチ闇深】 最高やでイギリス史 2: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:22:13.70 ID:ZQi46gsM0 胸糞悪いだろ 3: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:23:20.53 ID:5wfKlxCqd デーン人に完敗した後フランスに完敗して最終的にドイツ人に王位とられる話 25: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:50:41.40 ID:2CZ21mE3M >>3 結果君臨すれども統治せずやからな 5: それでも動く名無し 2023/04/19(水) 05:26:

    【朗報】イギリス史、ガチで面白い なぁお前らなんでイギリス史勉強しないんだ? : 哲学ニュースnwk
  • 中世ヨーロッパの巨大なアーチ橋はどのように作られたのか?

    チェコ・プラハを流れるヴルタヴァ川にかかるカレル橋は、1357年に建設が開始されて1402年に完成した石作りの巨大なアーチ橋です。重機などが存在しない中世にどうやって巨大なアーチ橋を建設したのかをCGで解説したムービーが、YouTubeで公開されています。 Karlův most - Stavba pilíře a klenebního pole ve 14. století - YouTube カレル橋は1402年の完成から1841年まで、プラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であり、交通にとって非常に重要な場所でした。カレル橋は何度も洪水などの被害に見舞われて損傷しましたが、そのたびに修復されており、記事作成時点も2019年から始まった約20年におよぶ修復工事の最中です。しかし、修復は橋の景観や通行を妨げない方法で行われているため、修復期間中も橋の上を人々が行き交っているとのこと。 b

    中世ヨーロッパの巨大なアーチ橋はどのように作られたのか?
  • 『あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』岡地稔著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    大王、禿頭王、肥満王、吃音王、短軀王、赤髭王、血斧王、征服王、碩学王、賢明王、敬虔王、獅子王、獅子心王、欠地王、聖王、悪王、残虐王、善良王に端麗王・・・中世ヨーロッパの王侯貴族はなぜ「あだ名」がついているのだろうか。それに、シャルル、ルイ、フィリップ、アンリ、ジャン、カール、ルートヴィヒ、ハインリヒ、オットー、フリードリヒ、ウィリアム、ヘンリ、リチャード、エドワード・・・同じ名前の違う人物が何度も何度も繰り返し出てくるのも不思議ではないだろうか。なぜシャルルの子もシャルルでオットーの子もオットーでエドワードの子もエドワードなのだろうか。 書ではそのような中世ヨーロッパの名前の付け方や「あだ名」の流行から、彼らの家門意識の成立過程を非常に丁寧に史料を読み解き、紐解いていく好著である。 書によれば史料に残る限りで「あだ名」がつけられた王侯貴族はメロヴィング朝末期からカロリング朝期(八世紀)

    『あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』岡地稔著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
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