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努力と社会に関するlatteruのブックマーク (2)

  • 助ける気が起きない人たち

    なんか社会問題とかで「助けが必要、支援が必要、保障が必要、健康で文化的な最低限度の生活」って話が出たときに、 「そうだよなあ」と思う事もあれば、「その人たち助けなきゃダメ?」って感じる事もあるので、 少なくとも積極的に助ける気が起きないパターンを言語化してみる。 ■1:自分がした努力と同程度の努力をしてない人たち 勉強頑張って、就職頑張って、仕事頑張って、それでも苦しんでる人なら、助けようって気にもなるけど。 自分が頑張って勉強して大学出て、頑張って就職して、頑張って仕事してるのに、 ろくすっぽ勉強しないで高卒→フリーター→無職コースに乗ったような人たちを、なんで救わなきゃならんのよって気分になる。 せめて自分と同程度に努力してから助けを求めてほしい。 ■2:見え見えの罠に嵌った人たち、判り切った結末に陥ってる人たち 震災みたいにどうしようもない理由で被害を受けた人たちなら、助けようよとい

    助ける気が起きない人たち
  • 女ってさ、結局「美しく」ならないと自己肯定できないの?

    プラスサイズモデルとかさ、あるいはそばかすいっぱいのモデルが出てきてさ、それまでコンプレックスとされていたものを武器にしたモデルが出てきて「新しい価値観の提示!」みたいに持ち上げられるけど。 それって蓋を開けてみると結局、「太っていてもいい」じゃなくて、「太っていても、努力すれば美しくなれる」でしかないよね。人の語る生い立ちとしても「太っていて馬鹿にされていたけど、おしゃれして見返した」みたいな話が語られる。 彼女たちが提示するのは、 「太っていても、美しくなれる!」 「そばかすだらけでも、美しくなれる!」 「一重でも、美しくなれる!」 「身長が低くても、美しくなれる!」 「アジア人でも、美しくなれる!」 であって、やっぱり最終的には美しくならないと救われていない。 コンプレックスを持った人間は人一倍努力して、汗かいて頭さげて、そこまでやったらあなたでもモデルの仲間に入れてあげますよ、っ

    女ってさ、結局「美しく」ならないと自己肯定できないの?
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