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虐待と家族に関するlatteruのブックマーク (3)

  • 「ほら見ろよ」母親の目の前で子どもに性虐待を行う父親 弟は自ら命を絶った《姉が覚悟の実名告発》 | 文春オンライン

    塚原さん ©文藝春秋 ◆ 20年以上連絡を絶ってきた実の父親(73)からだった。なぜ今の住所がわかったのか。混乱、恐怖、怒り……体の震えが止まらなくなった。 翌年1月、たえは体調の落ち着いた日を選んで、便箋にあった番号へ電話をかけた。相続放棄の意向を伝えるため、そして弟の和寛(仮名)のことで重大な報告があった。 電話口で、たえは声に動揺を出さないようにしながら伝えた。 「和寛は、自殺したよ」 父親は、息子の死にまったくうろたえず、あっさり言った。 「和寛は死んでも構わないけど、たえちゃんが死ぬのは嫌だよ」 この電話からおよそ2年が経つ今、たえは振り返って目を赤くする。 父親からの手紙 ©文藝春秋 「和寛は死んでも構わない、という一言で、これまで隠してきた性虐待を明るみに出そうという気持ちに火がつきました。父親にとって、子どもたちはあくまで性の道具でしかない。あんたのせいで死んだんだよと……

    「ほら見ろよ」母親の目の前で子どもに性虐待を行う父親 弟は自ら命を絶った《姉が覚悟の実名告発》 | 文春オンライン
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 児相に保護されて生き残った

    とある地方都市、母と兄との三人家族。物心がついた時には既に、母から厳しい「躾」という名の暴力を日常的に受けていた。 私には何かしらの、検査に引っかからない程度の発達の遅れがあったのだと思う。小学校へ入学する頃になっても、母が私に要求していることを理解できていなかった。自分がなぜ怒られているのか、私の何が悪いのかもわかっていなかった。 怒鳴られれば謝る。殴られれば謝る。ただそれだけ。反省なんてなかった。「母は正しく、私は間違っている。」それが私の、理解の全てだった。 年が離れた兄は、私に優しかったと記憶している。受験のストレスからか、一度だけ八つ当たりのように殴られたことはあるけど、それ以外に私を虐めたりすることはなかった。友達と遊ぶ時間を削って、私を家の外へ連れ出してくれることもあった。私は兄のことが好きだった。 同時に、私は心のどこかで「兄は私の味方ではない。」と思っていたかもしれない。

    児相に保護されて生き残った
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