人間性を根本から否定して突き落とすような凄みがある。 たとえば「ウザい」とかは言動に対する悪口だけど「キモい」は存在に対する悪口なんだよな。 自分の全存在が「キモい」の一言の下に問答無用で切り捨てられてしまう。 そこには抗弁の余地がない。逆転の希望もない。 ゴキブリが何をしても愛されることはないように、おまえも存在自体が不快でしかない。 せいぜい陰に隠れて、人目につかないところで生きていくしかない。 そういう悪口なんだよな。
人間性を根本から否定して突き落とすような凄みがある。 たとえば「ウザい」とかは言動に対する悪口だけど「キモい」は存在に対する悪口なんだよな。 自分の全存在が「キモい」の一言の下に問答無用で切り捨てられてしまう。 そこには抗弁の余地がない。逆転の希望もない。 ゴキブリが何をしても愛されることはないように、おまえも存在自体が不快でしかない。 せいぜい陰に隠れて、人目につかないところで生きていくしかない。 そういう悪口なんだよな。
広瀬一隆/Hirose Kazutaka @hirosekazutaka ある物事を判断する際、「キモい」という表現で批評することは、許容されるべきなのか。 対象を「キモい」という場合、自らは「キモくない」立場にあることが前提にされていると思われるが、かように、権力関係を自身の感覚だけを基準に儲ける是非は、検討されるべきではないかな。 広瀬一隆/Hirose Kazutaka @hirosekazutaka 記者/PhD student。生命倫理専攻。MSc(King's College London)。新聞以外の過去の仕事→researchmap.jp/kazutakahirose 。医師免許あり。著書に『誰も加害者を裁けない』(晃洋書房)と『京都大とノーベル賞』(河出新書)。作家中村真一郎の作品が好き
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