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2015年11月17日のブックマーク (5件)

  • 2015年に飲んだ中で個人的に特に好きだと思った「日本酒」まとめ - ウォーキングと美味しいもの

    photo credit: Tokyo Skyline shot in Meguro-ku 7 via photopin (license) ちょうど仙台で働きはじめた2010年の夏から飲み始めた「日酒」。最初に美味しいと思ったのがアーケードにある居酒屋で飲んだ「伯楽星」で、それからずっと主に東北のお酒を好んで飲んできた。2015年は東北以外のお酒も色々試してみよう、と思いながら飲み歩いてみたところ、地域や酒蔵毎に様々な違いを感じることができ(さらに酒蔵の中でも作り方により一違う)、その違いがとにかくおもしろくて、飲む度に新鮮で、「こんな美味しいのがあったのか・・」と思えるものを見つけてしまった時なんかはこれがまた嬉しい。そんな感じで、ますます日酒の魅力にはまっていっている気がする。気がつけば今年も後1ヶ月と少々で終わってしまう・・ということで、個人的な備忘録的に、2015年に居

    2015年に飲んだ中で個人的に特に好きだと思った「日本酒」まとめ - ウォーキングと美味しいもの
  • 京大受験生のための退学エントリ あるいは教育機関としての京都大学に対する一考察

    1 京大受験生のための退学エントリ あるいは教育機関としての京都大学に対する一考察 京都大学工学部を中退します。退職・退学エントリに見習って書きます。長く続くブログとかで書くつもり はないのと、あと日記とかそういうのをやると三日坊主で終わるんで多くの人の目に触れられるように増田 に投下します。1 一般に京都大学を退学する人は少ないです。おおよそ学部ごとに数人程度であり、1 割を超えることはほぼ ありません。ほとんどの人が、京都大学に入れば、卒業します。僕も受験生の時は、なぜ京大に入ってまで、 中退するんだろうと、統計資料を見ながら不思議に思ったものです。 現役で入ってからしばらく真面目に通っていましたが、留年を機に二年ほど続けて休学し、時折思い出し たように大学に行き、気づいたら入学してから八年が経過していました。やり直す最後のチャンスが巡って きました。京都大学を退学すべきか、卒業すべ

  • 大体いい感じの研究発表ができるKeynoteテンプレート「Zebra」を作った - shoya.io

    なぜ作ったか 僕の観測範囲では、研究発表のスライドというのは装飾が最小限で、白地に黒文字が読みやすくて良いとされています。その制約の中で見栄えの良いスライドを作るのはなかなか難しいので、大体いい感じになるKeynoteテンプレートを作りました。名前はZebraです。こちらからダウンロードすることができます。Zebra — Keynote template for research presentations テンプレート作成/公開にあたって参考にさせていただいたのは佐野章核さんの「Azusa」「Azusa Colors」で、勉強会やLTのスライドではいつもお世話になっています。 大体いい感じになるKeynoteテンプレート「Azusa」作った - MEMOGRAPHIX ただ研究発表のような堅い場所で使うにはややポップすぎる感じがするのと、透過でない図やグラフを貼る機会が多くて真っ白な背景

  • 私はコレのおかげで結婚できたのではないか?…と思っているレシピ - 今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~

    根菜タップリ汁〜ホマレ姉さん流 毎年寒くなってくると、決まって夫が「アレ作ってくれ…」と言ってきます。それはもう毎日のようで、この汁をべるために私と結婚したのではないか?…と疑うほど大好きなんです。 確かにコレをべると、身体は温かくなって、芯からスタミナが湧いてくるような気がします。冬の根菜類が秘めてるパワーはすごいものですよね。 昔、関東に暮らしていた頃、友達の作るけんちん汁が美味しくってよくべさせてもらってました。 その後、東北に引っ越してはじめて芋煮汁を知りました。今では全国的に知られていますが、秋になると芋煮会と称し、仲間で河原に集まり芋煮汁を作って宴会をするんです。 それはこの地方独特の立派な文化で、芋煮会の季節ともなるとコンビニの店頭にまで芋煮用の薪が並ぶくらいなんですよ。 でもこの芋煮汁、土地土地で少しずつ作り方も変わるんです。仙台は豚肉で味噌味、山形は牛肉で醤油味っ

    私はコレのおかげで結婚できたのではないか?…と思っているレシピ - 今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~
  • 学級崩壊した後の学級担任 | 小学校非常勤講師のブログ

    1度だけ、自分のクラスが崩壊した経験がある。ただ、若い時で、記録もちゃんと取っていないし、その時は必死になっていたので、いったい何が原因で起こったのか不明である。諸先輩方には連日いろいろアドバイスをいただいたが、結局、収束には至らなかったような記憶がある。 その後の長い教師生活の中で、学級崩壊を間近に見た経験がある。それをここで書きたい。 最初はある、教育に非常に熱意のある、若い女の先生のクラスで起こった。 転勤してきたばかりで、学校や子どもの様子をよく知らない。それなのに、5年生を担任した。 教育に対して非常に熱意のある先生だ。クラスはこうでなければならない、子どもと子どもの関係はこうでなければならない、ということで指導されていた。友だちとは仲良くするものでしょ、力を合わせあうものでしょ、ということを真っ直ぐに子どもに言っていた。 勉強についても熱心に取り組まれていた。力の弱い子どもには

    学級崩壊した後の学級担任 | 小学校非常勤講師のブログ