これが三国志だったら「三国志演義」を基とする「吉川英治 三国志」とか「北方謙三 三国志」とか「横山光輝 三国志」とか「蒼天航路」とかを読めばいいわけだけど、日本の戦国時代の場合、これに相当する物語ってあるの? とりあえず「桶狭間の戦い」あたりから「大坂夏の陣」あたりまでを1つにまとめた物語を読んでみたいのだけれど。 個々の有名な出来事はある程度分かっているのだが、それを通しで読める物語が思いつかない。
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これが三国志だったら「三国志演義」を基とする「吉川英治 三国志」とか「北方謙三 三国志」とか「横山光輝 三国志」とか「蒼天航路」とかを読めばいいわけだけど、日本の戦国時代の場合、これに相当する物語ってあるの? とりあえず「桶狭間の戦い」あたりから「大坂夏の陣」あたりまでを1つにまとめた物語を読んでみたいのだけれど。 個々の有名な出来事はある程度分かっているのだが、それを通しで読める物語が思いつかない。
のっけから著者に反論申し上げたいことがある。出口さんは「まえがき」で、「積み重ねられた歴史を学んで初めて、僕たちは立派な時代をつくれるのではないか」という。つまり本書は良き未来を創りあげるという目的のために、テキストとして読むことができると言っているように聞こえるのだ。 たしかに歴史から学ぶべきこと、いや本書から学べることはあまりにも多い。それは歴史だけでなく、生き様や人間関係、組織経営に至るまで、読んでいて気付かされることが多いのに驚くばかりだ。 しかし、本書は時代をつくるという崇高な目的のためだけのものではないように思われるのだ。いやそれ以上に、純粋に読む愉悦に浸ることができる本だと断言できる。これからの時代を考えることはひとまず脇に置いて、早く次のページを開きたいと思わせる本。本書は高度に知的なエンターテインメントでもあるのだ。 本書を読むときのイメージは「人類5000年史」という名
中国の歴史と文化に対する豊かな学識を生かした歴史小説やエッセーで知られ、日中両国の文化的懸け橋として活躍した作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)さんが21日、老衰のため死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。 神戸市生まれ。祖先は中国・福建省の出身。祖父の代に台湾から神戸に転居した貿易商の家で育った。大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)に在学中、作家の司馬遼太郎と親交を結んだ。同学校の助手になったが、敗戦で国籍が日本から中国に変わり、研究者の道が閉ざされたため退職。家業を手伝いながら小説を書き始めた。 1961年、「枯草(かれくさ)の根」で江戸川乱歩賞を受け、推理小説作家として出発。67年に約3千枚の大作「阿片(あへん)戦争」を書いたのを機に歴史小説にも進出し、69年、「青玉獅子香炉(せいぎょくししこうろ)」で直木賞を受けた。 生き生きとした人物描写が評価…
パレスチナ紛争の起源から、イスラエル独立、四次にわたる中東戦争を経て、湾岸戦争、イラク戦争、「イスラム国」の脅威までを記した通史。 よく整理された、分かりやすい叙述で、知識の獲得・確認に適切。 抑制された筆致が、偏りのない評価をもたらしてくれる。 この新版は2016年刊なので、比較的最近の出来事までカバーできるのも長所。 ここでは、1991年湾岸戦争以後の史実をメモしておきます。 1993年 オスロ合意とパレスチナ暫定自治協定締結。 1995年 イスラエル、ラビン首相暗殺。 1996年 第一次ネタニヤフ政権(右派・リクード党)。 1999年 バラク政権(労働党) アラファトPLO議長との交渉挫折。 2000年 第二次インティファーダ(抵抗運動)開始。 2001年 シャロン政権(リクード)。 9・11テロ事件。 2003年 イラク戦争。 2004年 アラファト死去。アッバスが後任に。 200
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一冊の書物が誕生するにあたっては、それなりの小さな苦難や意外が付きまとう。 本書についてもその壮大な内容を浴びるにあたって、どのような苦難や意外がそこに付きまとったかということを知ると、もっと内容が身に染みてくる。『アジア史概説』の誕生の苦難と意外は、その時代背景から見ると看過できない大きさをもっていた。 いまぼくの手元にある本書は、1973年に学生社から刊行された同名の著書が中央公論社によって文庫化されたものである。 そのころ学生社は尾鍋輝彦の『西洋史概説』を出していて、これと一対にするために宮崎市定の『アジア史概説』が選ばれた。しかし、宮崎はこれを書き下ろしたのではなかった。すでに1947年に人文書林という版元から出された正続2冊の旧版『アジヤ史概説』があって、これに手直しを入れて原稿とした。 ところが実は、この人文書林の旧版『アジヤ史概説』は、さらにそれ以前の稿本を元にしたものだった
800ページで世界史を概観できる名著。 「シヴィライゼーション」という文明のシミュレーションゲームがある。暇つぶしのつもりで始めたのに、暇じゃない時間まで潰されてしまう危険なゲームだ。マクニール「世界史」もそう。それからどうなる?なんでそうなる?に次々と答えてくれる本書は中毒性が高く、読むシヴィライゼーションといってもいい。 ゲームのように面白がれないが、ゲームのように熱中して、マクニール「世界史」の最新完訳版を読む。世界で40年以上にわたって読み続けられており、blog/twitter/tumblr でスゴいスゴいと噂には聞いていたが、たしかに素晴らしい。何が良いかっていうと、「眠くならない歴史」であるところ。 話は少しさかのぼる。流行に乗っかって教科書開いたはいいが、あれだね、睡眠導入剤として最適だね、山川世界史。パブロフのなんちゃらのように、開いた途端、急速に眠くなる。「メソポタミア
これは東大の歴史学の先生が中高生20人を相手に5日間で日清戦争から太平洋戦争までを通覧したときの講義ノートである。一読して深く印象に残ったのは歴史を読むうえで必要なのは、知識よりもむしろ知性であるという著者の信念である。 著者が生徒たちの前に差し出すのは、「知識」ではなく、ましてや「史観」でもない。もっとずっと生々しいもの、すなわち「史料」である。個人の書簡、報告書、日記、地図、統計数値、そういうものがごろりと生徒たちの前に投げ出される。生徒たちはそれが何を意味するのかについて推論することを求められる。 事後的にはどれほど愚かしく邪悪なものと思えるような歴史的選択も、リアルタイムでの主観からは合理的で倫理的なものとして映現することがある。私は経験からそれを学んだが、著者もこの点についてはたぶん私と同意見だろうと思う。どのような理不尽と見えるふるまいにも主観的には合理性がある。 「あとぢえ」
「武士から王へ - お上の物語(本郷和人)」(参照)は、日本中世において武士が王に変遷していく過程と体制を新視点から議論ししている。「王」を主題に据えた、日本の王権論でもあるが、読後の印象としては、そうした特定のテーマより、コンサイスな日本史概説として優れた叙述になっていた。 通常の意味で日本史概説なら通史的であるべきだが、本書は古代史と近代史・現代史は除外され、時代区分では中世史のみを扱っている。テーマも時代も限定されるがゆえに、現代人の知的な関心としても限定されるだろうが、その核心を背理的に言うなら、日本史の理解にしばしば必然的に仕組まれる右派及び左派の天皇幻想を解体する点で極めて現代的な知的課題でもある。 例を挙げよう。本書は、中世以降、皇位は誰が決めたのかと問い、武家であると答える。義務教育の範囲の歴史知識でも単純に答えられることだと単純に思う人もいるだろう。しかし、では、承久の乱
15巻まで出終わったということで、「ローマ人の物語」シリーズ全体を見返してみませう。とか言いつつ、主に、というか100%悪口になります。ちなみに15巻単独については 別に感想を書いた のでそっちをどおぞ。 塩野七生の悪いところは「キャラ萌え」の癖があるところです。歴史をキャラクタとしての人物を通して見ることしかできない。「英雄(およびボケ為政者)によって歴史が作られてきた」史観ですね。まあ物語作家って職業の限界だと思う。物語って常に「登場人物」が必要で、物語作家は登場人物個人の目と声を通してしか物語を紡ぐことができない。同じ欠点は司馬遼太郎にも見られます。英雄物語(およびボケ為政者の悲劇)としてはすんごく面白いんだけどね。 実はローマ帝国崩壊の大きな原因に「3世紀以降北半球の気候が寒冷化した」という話があります。この時期はローマ帝国に限らずあちこちで戦乱が記録されていて、例えば中国では漢が
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