中国社会科学院・哲学研究所で研究員をしていた劉奔教授がある日、同じ中国社会科学院の社会学研究所にいた私に連絡してきた。彼は一時帰国した際に『大地の子』の作者から受けた取材に関して耐えてきた苦悩と疑念を一気に吐露した。 ◆私が中国社会科学院・社会学研究所にいたわけ 1990年代初頭、私は文部省(文科省の前身)の科研費の研究代表として北京にいた。中国では調査するときにカウンターパートがいないと調査は許されない。ところが北京にある日本大使館の官員の一人が、中国政府側に「遠藤はチャーズ(卡子)の本を書いているので要注意人物だ」と密告した。そうとは知らなかった私はカウンターパートを失い、北京にあるホテルから飛び降り自殺を試みようとするところまで追いつめられた。 政府当局系列にいた教え子が、「日本大使館の密告」を教えてくれた。 そのような折、一本の電話が掛かってきた。 やはり昔の教え子で、文化大革命で