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本来なら、きちんと法整備を行って、明確な法令上の根拠と手続きを経て行うべき事柄が、何ら根拠のない「要請」によって、なし崩し的に既成事実化されていく・・・。 この国は、いつからそんなおかしなことになってしまったのだろう? 浜岡原発の安全性や、このまま稼働させることの是非については様々な考え方があるだろうし、「止めるべきだ!」という議論も、昨日今日出てきた話ではない。 これまでほとんどの人が“リスク”についてロクに意識していなかったのに、ひとたび何かあると、一転ナイーブ過ぎるほど“リスク”に敏感になって大騒ぎし始めるこの極端な国民性は、正直いかがなものかと思うが*1、福島のあの惨状を見てしまえば、“不安だから止めてくれ”という人々が多数出てくる、というのも一応は理解できる。 でも、だからと言って、大臣が現地視察して、「そんなに急ぐ話ではない」云々というコメントを現地で残した翌日に、いきなり緊急
今週のテーマ3d illustration of a national flag with a grunge metal texture 菅直人首相による浜岡原発の停止「要請」に対しては賛否両論がありますが、批判の有力な論拠のひとつが「法的根拠に基づかない首相のスタンドプレーであり、『法の支配』に反する」というもののようです。このことに関して寄稿依頼をいただきましたので、「そもそも日本は法治国家なのか」を歴史的に考えてみます。 まず確認しておくべきなのは、しごく大雑把に言って、「法の支配」はそもそも人類普遍の現象ではないという史実です。英国のマグナカルタ(1215年)に典型的なように、それは「封建貴族の既得権益」を君主に認めさせるところから始まった(その手段が身分制議会=立法府の設立)、特殊西欧的な政治体制であり、最初から東アジアには当てはまらないのだと思っておいた方がよいでしょう。 法治
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