ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
──今年の東京大学学部入学式の祝辞は広く反響を呼びました。 上野氏:ある程度反響があると思っていましたが、ここまで大きいとは思っていませんでした。私と東大が、よほどミスマッチだったんでしょうね(笑)。東大当局がよく私を呼んだと思います。ただし、あの祝辞の内容は、これまで言ってきたことをくり返しただけです。 ──東京大学新聞では、祝辞に共感したのは下級生よりも上級生、そして学生よりも社会人のほうが多かったと分析しています。性別では圧倒的に女性の共感を得ています。 上野氏:東大生で多いのは男子――特に中高一貫の私立男子校出身者――ですから、彼らが私のメッセージに共感することは少ないでしょう。メッセージに共感してくれたのは40代の女性が多い。そういう反響を聞くたびに「あなたも苦労したのね~」と思います。 ──祝辞の中で「意欲の冷却効果」を取り上げられました。東大の女子学生でも「意欲の冷却効果」に
大荒れの中で8月1日に開幕、3日で中止が決まった「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」。地元に在住する者として、書くならきちんと展示を見てからと思っていたがなかなか都合が付かず、遅ればせながら4日午後に初めて会場を訪れた。「不自由展」の会場は閉鎖され、館内は全体として穏やかさを取り戻しているように見えた。しかし、モヤモヤした違和感、怒り、悲しみ、情けなさ、忸怩(じくじ)たる思いなどが後味悪く残る。それは何なのか、どうすればよかったのかを考えた。 「不自由展」は参加者の一つという位置付け前置きが長くなってしまうが、まずは基本事項を確認したい。 あいちトリエンナーレは2010年から3年に1度開かれている国際芸術祭だ。瀬戸内や越後妻有など「アートによるまちおこし」が成功した流れも受け、“文化不毛の地”とも揶揄されてきた愛知・名古屋で新たな文化・芸術事業を起こそうとの狙いがあった。難
韓国の少女像展示などをきっかけに「表現の不自由展・その後」を中止した「あいちトリエンナーレ2019」の事務局が、記事や番組の事前チェックをメディア側に求めていたことが分かった。「表現の不自由」と銘打ちつつも、事務局自らが記事を「検閲」するかのような対応に、メディア側も困惑している。(在パリ編集委員=羽生 のり子) 「あいちトリエンナーレ」のウェブサイトで「プレス向け」ページには下記の記述がある。 「企画内容によってはご要望に沿えない場合もございますので、あらかじめご了承ください」 「誌面掲載、番組放送前に原稿を確認させていただいております。必ず校正段階での原稿・映像等を事前に広報専用メールへご提出ください」 こうしたメディア側への要請は、「検閲」と取られても仕方ない。芸術家は記者・ジャーナリストと同様、国を問わず「表現の自由」を特に重視している。それなのにジャーナリスト側の「表現の自由」を
中高年になったロスジェネ お金を渡せばいい つながり失うことを恐れない 「ロスジェネに、つながりはいらない」。ロスジェネの代弁者として発信を続けてきた赤木智弘さんは、雇用対策や街コンなど、つながりのきっかけを作ろうとする政策の限界を指摘。そして、ロスジェネを救う手段は「お金を直接、分配すること」だけしかないと訴えます。「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」で注目を浴びた赤木さんに、今、ロスジェネのためにできることをつづってもらいました。 中高年になったロスジェネ ロスジェネが注目された時代から、すでに10年以上が経った。 10年が経ったということはどういうことか。 それは「ロスジェネ世代が10歳、歳を取った」ということを意味する。 冗談やちゃかしで言っているわけではない。 10年前、すでに30歳前後となり、若者とは言ってもギリギリだった人たちは、その10年後には
ああ、これは駄目だ。 日韓関係が急速に悪化している。直接的なきっかけは7月1日に経済産業省が発表した、一部半導体関連物品に関わる包括的輸出許可から個別輸出許可への切り替えである。この措置は7月4日から実施され、この措置に韓国の政府、世論は激しく反発した。 経済産業省は合わせて、韓国の輸出管理上の国カテゴリー変更(いわゆる「ホワイト国」からの排除)に関わるパブリックコメントの募集を開始、事実上、このパブリックコメント募集の終了後に、韓国に対する輸出管理を更に強化する事を「予告」した。そしてこの8月2日、日本政府は予定通り、閣議にて韓国の「ホワイト国」からの解除を実施する事を決定した。韓国政府、世論の反発は更に高まり、文在寅は一部日本メディアが「盗人猛々しい」とまで翻訳した言葉を用いて、日本政府を激しく非難した。 問題にしたいのは「輸出規制」の影響ではない とは言え、筆者がこの状況で、冒頭に述
ここ数日、表現の不自由展を巡るやり取りを見てるけど、いよいよ心がしんどくなってきた。 この件、どちらが良い悪いの話ではなく、どちらにも批判されてしかるべきポイントがあると思う。国による検閲を認めろという意見には当然反対すべきだと思う一方で、センシティブな時期にセンシティブな話題を、丁寧に準備することなく放り込んだ主催者側にも手落ちな部分があると思う。 けど、それぞれを擁護する人たちのやり取りを見てると「自分たち側には非がない!悪いのはあいつら!」ってスタンスの人ばかりで、全く話し合いになってないように感じる。はてブでも、自分達側に都合のいい記事にだけブコメして相手を罵倒し、自分達側に都合の悪い記事にはそもそもブコメしないという態度を取る人が多いように見受けられる。 世の中全体から「違う意見の者同士が話し合って世の中を改善していこう」という空気が消え、いかに相手を罵るかにパワーを割く人が増え
すごい勢いで世の中が悪くなっていると我々が感じているということは、逆側に立つ人は「世の中どんどんよくなってるな」と感じているのだろうか。— 方便 (@ryohoben) 2019年8月5日 このtwitterの文章を読み、「世の中ってそんなものだよね」と思いつつ、社会の変化に思いを馳せた。 この文字列から、私は二つの連想をせずにいられない。 まず、小さな問題として、日本をはじめとする先進国で起こっている混乱。 少子高齢化と経済的停滞の続く日本はもちろん、アメリカはアメリカで、ヨーロッパはヨーロッパで、現代の社会問題にのたうち回り、その解決の目処は見えない。 他方で、途上国と呼ばれていた国々の所得は向上し、生活水準も良くなっているという。 私は少し悲観的に考える癖があるので、資本主義的な豊かさが国単位で安定するためには、本国と植民地、先進国と途上国のような政治的・経済的勾配が必要だと疑ってい
もうこういう「公共にそぐわない」「社会規範に背く」みたいな筋での批判をしていたリベラル・左派は、今後そういうことは一切できなくなりましたね。よかったなメグ。「表現の不自由展」最高や! https://t.co/DEx1l7KXAx
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く