ブックマーク / p-shirokuma.hatenablog.com (5)

  • もてない男女のマッチングシステムは?→無理無理、考えるのやめやめ - シロクマの粘土板

    結婚できない男女やモテない男女の話があちこちに転がっている。モテなきゃ夫婦にならないのは、まあ、わかるような気はする。でも、昔はそうじゃなかった。お見合いシステムが健在だった頃の「出会い」とは、そういうものじゃなかった。」 「現在の「出会い」には、場そのものが一定のハードルをクリアしていなければ参加できないような雰囲気がある。同性同士のコミュニティならともかく、一定割合で異性を含んだコミュニティに参加するための資格が、「モテ」なのではないか?この、結婚がプライベートかつ個人主義的な結びつきによって規定されがちな社会では、異性を含んだコミュニティに参加できなければ配偶なできようはずがないではないか?」 「もちろんこの疑問には突っ込みどころが色々あって、たとえば、企業への参加には「モテ」は要らないんじゃないかとか、異性をとっかえひっかえできるほど「モテ」なくてもコミュニティには参加できるとか

    もてない男女のマッチングシステムは?→無理無理、考えるのやめやめ - シロクマの粘土板
    lcwin
    lcwin 2015/07/10
    これは違うと思う。コミュニケーション不全はスペクトル的ということと、多対多でのコミュニケーションは苦手だが少人数だとなんとかなる人は結構いると思うから。街コンよりお見合いや友人の紹介ならまだ可能性ある
  • 「高嶺の花」のようなワイン、「高嶺の花」のような人物 - シロクマの粘土板

    「高嶺の花」のようなワインに出会って絶句する体験が、ある部分では幸福をもたらし、ある部分では厳しい執着を生む以上に、「高嶺の花」のような人物に出会って絶句する体験は、ある部分では幸福をもたらすと同時に、ある部分では厳しい執着を生んでしまう。 それでもワインなら、金さえ出せばいつか手に入れられないこともないし、ため込んでおくこともできる。ワインはあくまで購買の対象だからだ。ヴィンテージの問題があるので、ワインとの出会いは常に一期一会ではあるけれども、「あのすばらしい体験をもう一度」という可能性に投機してみる余地はある。ところが人間というのは主体性のあるものだから、金を払って可能性の富籤を手に入れられるものでもないし、よしんば縁を得たとしても、ワインセラーのようなところに所蔵しておくこともできない。 「ああ、素晴らしい人物だな」と思える人との間柄は、当然果たすべき礼節を守るとしても最終的には運

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    lcwin
    lcwin 2015/04/02
    何せ相手のいることなのでどうにもならないものはどうにもならないけどそれを受け入れるのは時間かかるし
  • 「どうであるか」を書くことと、「どうすべきか」を書くこと - シロクマの粘土板

    このp_shirokumaなるアカウントが恋愛至上主義批判をし、コミュニケーション至上主義を批判するようになるとは、2006年の頃、全く想像がつかなかった。歳月は人の考えも立場も変えてしまうのだなあ、と思う年の瀬。 2014-12-13 16:15:22 via Twitter Web Client 今日の夕方、私はこのような呟きを行った。かつて恋愛至上主義やコミュニケーション至上主義を批判していた「非モテ論者」の批判対象になっていた私が、今では似たようなことを考えていること、そして「非モテ論者」の多くがネットからいなくなってしまったことを詠嘆したつもりだ。 これをリツイートした 私はシロクマ先生の読んでもスタンスが見えないけど、売る為にスタンス変えたのかって思う人間がいるってのは分かる気はするけど。いずれにしても社会学ポジションはこれからもクソの一途を辿ると思いますので、アマゾンで1

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    lcwin
    lcwin 2015/01/04
  • マズローの本に「承認の欲求」って訳語は出てきますよ? 他 - シロクマの粘土板

    ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と棚 「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源 - 長椅子と棚 憶測に基づいてあれこれ書かれることについて、一回目はスルーしよう、良い部分だけを捉えてトラックバックをしようと思ったけれど、二回目が特に気になって、整理、あるいは弁明しておきたい願望を感じたので、書いてみる。 シロクマさんの記事では、「承認欲求がない」ということと「対人関係が必要ない」ということを重ねて論じた箇所があります。ここでは「他者との交流」と「承認」がほぼ同義に用いられています。しかし同じ記事に、「職場や社会で承認欲求を満たしていこうというエネルギーが人を飛躍させていく」という表現もあります。こちらでは社会的な評価のようなものを指して「承認」と言われているのではないかと思います。 http://d.hatena.n

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    lcwin
    lcwin 2014/02/04
  • 【08】furukatsuさんと革命的非モテ同盟 - シロクマの粘土板

    id:furukatsu 全盛期:2007年~2008年 危険度:全盛期においても少なめ 最近、「00年代のはてな非モテ論壇は、案外、核心に近いところを突いていたんじゃないか」と思う機会が増えたので、非モテブロガーの活躍と顛末についても、何人か紹介していきたいと思う。 過去を知らない人のために説明すると、twitterブームによってブログ界隈が失速する前の2005~2009年頃にかけて、はてな村周辺には「非モテ」を論じるブロガーが複数名存在していて、恋愛至上主義問題・脱オタvs非モテ・承認欲求周辺問題・非コミュ問題について、議論のようなキャッキャウフフのようなギョーカイゴッコのような、あーでもないこーでもないが繰り広げられていた。ちなみに私は「脱オタクファッション」側のウェブサイトを主催していた関係で、この非モテ論壇から仮想敵とみなされ、半ば強引に論争に巻き込まれたのだった*1。 非モテ

    【08】furukatsuさんと革命的非モテ同盟 - シロクマの粘土板
    lcwin
    lcwin 2014/01/02
    いわゆる非モテ論壇は衰退したのかもしれないけど、同質の問題や同類の問題はやっぱり起きている気はするし、最近のネットムーブメントを見ててもあの時代の状況に近いとは思う。
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