motoとcomicに関するlepantohのブックマーク (16)

  • 男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange

    はてな匿名ダイアリーで少女漫画の話が盛り上がっている。 「俺、少女漫画好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて24年組の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。24年組は私も大好きだし、素晴らしい作家さんだと思うけども、臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいないんだもの。それどころか、その24年組作家さんの最近の作品も読んでいない。せめて「バルバラ異界」ぐらい読んでから言ってもらえませんかね。 「少女漫画を理解する心の広い俺」 極論である。 この書き手の経験則としては正しいのかもしれないが、一般論としては、「臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいない」とはとても思えない。 しかし、この意見に対し、id:msknskさんは「最近まで、24年組以降の少女マンガについての評論はあまりに少

    男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange
    lepantoh
    lepantoh 2008/12/11
    まったくもって謎。少女漫画を読み24年組を読んで一体何故「男が」「女が」という一般概念に左右されるのだ。/わたしは自称24年組の研究者だが大島理解不能、舞姫大嫌い。女性である事は関係ない。100字では書ききれん
  • Just a moment, please

    lepantoh
    lepantoh 2007/03/06
    気が合わない。/文学性は読者と作品の関係にあるとしている?/「何か」こそが重要だと思うが。/↓宗教的なものがテーマだとは思わないけれど、強姦は明らかに誤読でしょう。
  • 2007年日本SF大賞に萩尾望都さん「バルバラ異界」(12/2) | アニメ!アニメ!

    2007年日本SF大賞に萩尾望都さん「バルバラ異界」(12/2) | アニメ!アニメ!
  • 絶叫機械+絶望中止 マンガにおける各要素の扱いについて。

    要約:どんなマンガにも、あらゆるテーマが混在し得る。マンガ内に局在する物語の要素を見逃すな。 ファック文芸部の方でハチクロについて書いたんだけど(ついて?)、それで思い出したので、前に書いたエントリをサルベージ。↓『ハチクロ』『のだめ』と『シュガー』『昴』の違い。 なぜなら、狂気の快楽は、恋愛とは相容れない場合が多いからだ。 (絶叫機械+絶望中止 2005年1月20日 天才が出てくるマンガについての話 より) そして映画『ヘルボーイ』について(原作がマンガ)。 簡単に言うと恋愛映画なんだけど、それくらいの宿命と出会いがあれば愛も燃え上がるっちゅう話ですわ。 (絶叫機械+絶望中止 2004年10月20日 観よう!ヘルボーイ! より) ここにあがった作品には共通点があって、それは「ああ、こいつら他の男や女じゃ愛し合えない」というもの。これが面白いことに『昴』と『ヘルボーイ』はその力の強さゆえに

    絶叫機械+絶望中止 マンガにおける各要素の扱いについて。
  • 生萩尾、生浦沢、生夏目、生西原、生しりあがり、生いしかわ、生荒俣 - 思い出し帖

    手塚治虫文化賞10周年記念イベント「マンガ未来世紀」に行ってきた。 第1部『極私的マンガ事情2006』荒俣宏×いしかわじゅん 両氏は手塚治虫文化賞当初から選考委員を務めている。それでも10年やってて未だに賞の選考基準が分からないらしい。しかも、いまは談合で作品が決められてるんだって(笑)賞は審査員は趣味がものすごく反映しているけど、手塚治虫文化賞の選考はものすごく審査員の趣味が反映されている。私の嫌いな趣味ではない。 10年間の受賞作についてそれぞれ語っていた。 荒俣さんは、夢枕獏原作・岡野玲子著『陰陽師』(2001年第5回マンガ大賞)が受賞したときはものすごくうれしかったそうだ。岡野玲子の取材力はすごいらしく、漫画の中に出てくる題字を、さる寺の偉いお坊様に書いてもらっているほどらしい。取材していく上で、関係を作ってるみたい。随所にこだわりがある。13巻ではエジプトと平安京を五角形の図で関

    生萩尾、生浦沢、生夏目、生西原、生しりあがり、生いしかわ、生荒俣 - 思い出し帖
  • 手塚文化賞10周年:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ

    9月10日(日)、手塚治虫文化賞10周年記念イベント「マンガ未来世紀」の第3部、『手塚治虫から続く道 21世紀のマンガ家たち』(萩尾望都×浦沢直樹×夏目房之介)に参加。浦沢さんから絵を描きながら話したいとのオファーがあったと担当者から連絡があり、簡単な流れとネタ、図版を用意して早めに着いて打ち合わせ。長時間ながら面白い試みだったんじゃないかと思う。 当日も少し話したけど、 マンガ家は絵を描いたり、見たりしながら話すべきなんだよね。それが彼らの伝達手段であり思想なんだから。ただ、取材側に相応の力がないとダメだけど。作品を具体的に見ながら話し、それを紙面なり映像に反映しつつ伝達しないとね。そういう意味では、この企画の「面白さ」が、これから朝日新聞及び記念のムックに、どの程度反映されるか。朝日の見識が試されるってことですね(笑)。 もちろん。じっさいにやるのは難しい。じっさい浦沢さんと萩尾さんで

    手塚文化賞10周年:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ
  • FULL MOON PRAYER :: 「かわいいは正義」という絶望

    こことかこことかこことかここのエントリーを見て、自分がずっと感じていることを文章にしたいと思ったので、あまり外向けに書くことではないと思いつつ書いてしまいます。 去年の夏に乙女化する男子の話とか傷つける性としての男性とかの話を読んで、サークルの冊子で書いたものの焼き直しです。多分その辺の影響も受けています。 一般論でなく私論なので、不愉快な方は「僕たち」の部分を「私」に置き換えて読んで下さい。 以上予防線張り終わり。我ながらチキンです。 長いので続きを読むにしておきます。 「女の子になりたい僕ら」という願望は今の空気をかなりの強度で支配していると思う。 マリみて(未読)で少女の花園を垣間見て、おとぼく(未プレイ)で少女の花園に侵入した僕たちは、かしましにおいてついに女の子になって少女の花園の仲間になってしまった。この世界は少女の三角関係から成り立っており、真っ当な男キャラである明日太にはも

    FULL MOON PRAYER :: 「かわいいは正義」という絶望
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    lepantoh 2006/03/16
    少女漫画はずっとその憧憬を重ねまくってきたので、それが男の人側にいくことが悪いこととは思えない/斉藤環曰く、男オタクの願望=持ちたい、女オタクの願望=なりたい、だそうだ/実際私は萌えより憧憬なオタク。
  • 花の24年組

    そもそもは、竹宮氏のアシスタントに萩尾氏を呼びつけ、そこから意気投合して、同居することになり始まった大泉サロン。 面白い作品を書く人がいると、「ちょっと、この人呼んでみようか」ということで、ファンのようで、アシスタントのようで・・・・ぞろぞろと…というひとがごろごろしていたらしい。(うらやましい!)西谷祥子先生、水野英子先生全盛期で、少女マンガといえばバックが少なく絵柄がほとんど胸から上で何かといえば花が飛ぶ、そんな伝統のパターンから抜け出したいということで、構図を変えたり,アップの連続ではない画面構成など、頑張っていたのですが,従来の少女マンガのパターンから抜けだせば抜け出すほど、受け入れてもらえない少女マンガ界で負けずに気負いや夢を持って,作品作りに励んでいた. 手塚作品や石森作品全盛のマンガ界で、少年マンガの評価が高く扱われるそんな時代に悔しさをエネルギーに自分のスタイルの作品を作り

  • http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/lab/sotsuron/98/yamane/preface.html

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    lepantoh 2006/02/13
    やおいの考察。あとで読むってやつ。
  • バルバラ異界 : 書評 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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    lepantoh 2006/02/03
    やはりバルバラを語れる人はいないのかw
  • 2005-10-29 - ゾゾコラム

    ■[comic]「白痴でいること」は不幸なのか、それとも幸福なのか 23:27 気になっていた『GUNSLINGER GIRL(ガンスリンガー・ガール)』(相田裕 / 電撃コミックス)を、既刊の5巻まで一気に読む。 作風からして、ちょっと「女性の感想」を聞きにくいマンガ。アタシのようにヒネたオンナはともかくとして、一般の女子がこれをどう読むのか、すこし気になる。 物語の舞台は、イタリア。 テロリストの台頭などにより、治安維持に頭を悩ませている国の組織「社会福祉公社」は、大儀のため、あるいは必要悪として、少女たちを「殺人のスペシャリスト」に育て上げている。身体になんらかの障害をもった少女たちは機械の体に改造され、担当官(という名の管理者)の命令に従順になるよう、「条件付け」と呼ばれる洗脳をほどこされる。そうした少女たちは「義体」と呼ばれ、銃を持ち、日夜「テロ鎮圧」「要人暗殺」などの殺人を、

  • やれやれ。 - ふるきちの、家はあれども帰るを得ず。

    やはり危惧していたとおり、「村上春樹」よりも、「サブカル」の方がメインになっているようですなw。まあ、いいけど。 あらためまして、silvyです。フルキチ氏もミヤ氏もいないので、私が勝手にカキコします。例のごとく、私はお下劣、はみだし系ですので、皆さま軽くスルーでお願いしますね。 さて、先日のフルキチ氏のカキコを見ると、年ごと(クロニクル方式かw)に区切ってサブカルを論じる旨の文章がありました。そこで私は、年ごとではなく、「テーマ」によってサブカルを論じたいと思います。 村上春樹の「1973年のピンボール」が発表されたのは、フルキチ氏が言われたように1980年ですが、この記念すべき(?)1980年から1990年までの10年間は、まさにあらゆる“サブカル熟成準備期間”だった、といえると思います。 こうしたサブカルの中で今回は「マンガ」を取り上げたいと思います。 1980年に一年遅れることの1

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    lepantoh 2006/01/17
    いいなー80年代。テラウラヤマシス。エイリアン通りはいつか読みたいな。よく古本屋で見るしね。
  • 今年の多摩美のイカした問題作: たけくまメモ

    映像の一部をまだ残してますが、多摩美課題の採点もほぼ終わり、昨日、なんとか講評会にこぎ着けることができました。 今年は全体に低調だったという意見は変わりませんが、最終的には何か評価しうる作品に遭遇することもでき、ほっとしております。面白いもので、毎年同じ課題(マンガかアニメを作って提出)を出しているんですが、その年ごとの「傾向」があるんですよね。 たとえば最初の年は、ドラえもんとかジョジョのパロディが悪目立ちしたりとか、それを注意したら、今年はパロディ系がぐっと減ったかわりに、自殺ネタが目立ちました。 アレですよ、青春の苦悩を抱えた主人公が、短い人生を回想しながら身投げしたりする。青春の一ページとはいえ、みんなそんなに死にたいんでしょうかねえ。首つりは大小便垂れ流しになりますし、飛び降りは痛いですよ~。 まあそれはともかく、年度の課題で、個人的に一番ひっかかった学生さんのマンガを特別に

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    lepantoh 2006/01/13
    私が萩尾望都評論家と知ってのエントリですか(んなわきゃない)。笑い死ぬかと。
  • http://www.poplarbeech.com/history/history.html

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    lepantoh 2005/11/28
    萩尾望都の読書履歴。
  • TINAMIX 藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ ~レイプからメイドへ~」(後半)

    由香里(ふじもと ゆかり) 1959年熊県生まれ。東京大学教養学科卒。筑摩書房で編集者として働くかたわら、コミック・女性・セクシュアリティなどを中心に評論活動を行う。『週刊文春』『ESSE』共同通信などにマンガコラムを連載しているほか、http://www.isize.com/bookで�"�愛情図書館�#�、他に熊日日新聞、『ジャーゴ』などでも連載中。著書に『私の居場所はどこにあるの?』(学陽書房)、『快楽電流』(河出書房新社)、最新刊に、清水玲子・萩尾望都など7人の少女マンガ家と『ベルセルク』の三浦建太郎へのロングインタビュー、最新のまんがコラムをまとめた『少女まんが魂』(白泉社)がある。最近、竹宮惠子氏のマンガ論の集大成ともいえる『竹宮惠子のマンガ教室』(筑摩書房)を編集した。 今年暮れには、『愛情評論――家族をめぐる物語』を文藝春秋から、同時期か来年1月には、若い女性向けの

    lepantoh
    lepantoh 2005/11/24
    トラウマの話は面白い どうでもいいけど藤本さんはマネー論を信じていた 今は知らんけど
  • 大奥 1

    B6コミック

    大奥 1
    lepantoh
    lepantoh 2005/11/10
    マージナルがどーしても脳裏に
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