何度か かいてきたので、ながい文章にはしない。 それが だれであろうと、漢字を よみまちがえたなどといって ばかにするのは、最悪だということ。日本語社会を、さらに いごこちの わるいものにする行為だということ。 麻生(あそう)は 漢字が よめないなどと いっている ひとは、思想的に あそうに ちかづいている。わたしは、あそうと ともだちになりたいとは、ぜったいに おもわない。だからこそ、「漢字の知識」で あそうを 批判するつもりはない。この漢字至上主義の 社会を 特権的に いきてしまっているものとして、漢字という障害を 批判する。それこそが、「あそう的なもの」と おさらばする道だ。 わたしは あそうが きらいだ。けれども、漢字の知識で あそうを ばかにする ひとは信用しないし、ゆるさない。そういう人物が 「自分は社会問題を かんがえている」と おもっていられる日本社会は、なるほど ひどいも