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ブックマーク / tamanoir.air-nifty.com (11)

  • 終結宣言 - 大蟻食の生活と意見

    何を書いてもまともに意味さえ取れない人を相手にしてきたことに漸く気が付き、うんざりして降りたのだが*、議論自体があまりにも醜悪になってきたため、また更に醜悪な差別主義者が馬鹿を抜かし始めたため、一言口を挟ませていただこう。ただし、後に述べるように、差別に関する公共の議論は根的に無意味であり、社会による調停は必然的に失敗する、という現在の立場から、この件に関して議論する気は全くない。 *前項について私が最後にはてなブックマークを見た時には、少なくとも三人は、どうにか読めたらしい人がいた。sk-44氏はそのいずれでもなく、よりにもよって一番お馬鹿な「スタージョンの法則」でお読みになったらしい——原理的に不可能、可能性ゼロ、が、どうして「スタージョンの法則」なんだ? 誰にでも解るように多少噛み砕いて言ってあげよう——エロを目指す表現とは、性そのものではなく性に向けられてきた既存の言説の中で行わ

    終結宣言 - 大蟻食の生活と意見
  • 罵倒し合って禍根を残さない社会が望ましいことはいうまでもない。しかし:大阪池田小八回忌と秋葉原一周忌に:大蟻喰の日記

    その他のはてなブックマーク、トラックバックに対する回答として、簡単に。 反ムスリム・プロパガンダは移民差別の問題。宗教の問題=天皇制批判はどうした、ととらえるのは完全にずれている。日の問題に置き換えるなら、嫌韓問題に近い。幸いにしてそうではない訳だが、もし朝鮮半島や中国大陸の人間が何か特定の宗教を信仰していた場合、所謂嫌韓厨はその宗教を最大限に腐し、在日韓国人・朝鮮人は、嫌韓厨の用語を使うなら当然「ファビョる」だろう。そしてその「ファビョン」は無神論を信奉する日の嫌韓厨にとっては彼らを貶め嘲笑し罵倒する絶好のネタとなる。もしヨーロッパの主要各国におけるムスリム人口と同じくらいの在日朝鮮人・韓国人人口を抱えていた場合、こうしたヘイトスピーチは今とは比べ物にならないくらいの社会的緊張を齎す。そういう状況をリアルに想像することができないなら、この問題について議論する資格はない。 天皇制につい

    罵倒し合って禍根を残さない社会が望ましいことはいうまでもない。しかし:大阪池田小八回忌と秋葉原一周忌に:大蟻喰の日記
  • 差別構造温存のお題目として唱えられる「表現の自由を守れ」に声を合せるのは、名誉とは何かを心得る人間には到底できることではない。2009.6.7:大蟻喰の日記

    なるほど、大分すっきりわかってきました。 「雉も鳴かずば」がそういう意味だとすれば、私の回答はこうなります 1. 雉は鳴くものです。鳴かなければ雉はそもそも存在しない。 2. 鳴いた雉が撃たれることは当然阻止しなければなりません。 3. しかし、雉を撃つな、が、差別を受けているマイノリティ(この言葉は嫌いですが)に対する差別的プロパガンダに利用されている場合、一緒に声を上げるのは御免です。 1. については後述します。2. は当然な話です。問題は3.でしょう。 五十嵐氏の事件を引き合いに出すことは、やや不穏当だと思われます。何か裏情報をご存知なのかもしれませんが、少なくとも私は誰が何故やったのかの確定情報を持ってはおりません。その状況で特定の人々を犯人として名指し、雉を撃つなと声を上げることには、躊躇せざるを得ません。五十嵐氏の事件が反ムスリム・プロパガンダに利用されるのは、訳出の意図を考

    差別構造温存のお題目として唱えられる「表現の自由を守れ」に声を合せるのは、名誉とは何かを心得る人間には到底できることではない。2009.6.7:大蟻喰の日記
  • 2008.11.4 - 日記

    タモガミ君、というのは大層覚えやすい名前で喜ばしくはあるのだが、残念ながら大阪のハシモト君と同様に文明人でないのは残念なことだ。 「古い歴史と立派な文化のある国」というものは、ほぼ例外なく、侵略国家であった経験を有する。そうでないのは侵略する程度の実力さえ持たなかった小国や低開発国だけだ。まあ辛うじて、ぎりぎり、侵略する側だった、ということに、国家と自分を同一視するという奇怪な習慣を持つ御仁は秘かな満足を噛みしめてしかるべきであろう。超下手糞だったことは自覚しなきゃいけないけどね。過ちに学ばないと上手くなれないよ。 一方、侵略はどこまで行っても侵略であり、諸国民の解放のお手伝いとか何とか理由を付けたところで、非難の対象となることは免れない。大体、たもがみ君が言っているような現地における貢献は植民地化の試みに付き物であって、だから無罪放免というのなら、フランスの北アフリカ支配もイギリスのイン

    2008.11.4 - 日記
  • 2008.10.29 - 日記

    大阪の橋下君絡みで。 貧困だけならそれでもまだ何かしらの幸福は掴めるかもしれないが、叩き上げはいかんね。人間を決定的に駄目にする。或いは最初から駄目なのかもしれない。世間は立志伝と言うかも知れないが、私に言わせれば感受性の徹底した摩滅以外、こんな人生を可能にするものはないよ。結局出来てくるのは叩き上げに過剰適応したネオリベの犬だ。 正直な話、無言の渋い苦労人はいいけど、苦労自慢の苦労人の苦労の押し付けは堪忍だ。 誰もあんたみたいにはなりたくないし、あんたみたいな人生は送りたくもない訳。自分がネオリベ犬だからって他人までそうなるべきだってのはおかしな理屈でね。ネットのニュースとかで橋下君の話を見る度、こんな具合に摩滅せずに済んだなんて、私はなんて幸福な境遇に生まれたんだろう、と真剣に思うよ。ああ、ネオリベの犬なんかにならずに済んで当によかった。 まあちなみに、昨日から何だか気分が荒んでるん

    2008.10.29 - 日記
  • 2008.10.8 - 日記

    一頃映画館で裁判員制度の政府広報をやっていた。小さな可愛い子供たちが出て来て、「**君が**の時間に**したのはいけないと思いまーす」という、我々の世代にはおなじみの吊るし上げと自己批判ごっこをやる、あれだ。 何だかねえ——あれに郷愁持ってる馬鹿がいるっての、初めて知ったよ。 私はよく知っているが、あれはいじめであった。犠牲者はあらかじめ決まっている。CMでは代弁してくれる奴も出て来るが、現実にはそういうことはなく、一人が「いけないと思いまーす」をやると、複数が一斉に糾弾を始める。人の弁明は許されない。即ち吊るし上げであり、教師は一切口を挟まない。口を挟むのは「刑」を決める時だけだ——私は三角帽子を被せられ、首から罪状を書いた看板をぶら下げて立たされた。コネ就職の田舎教師のざましてよくもまあ、文革ごっこなんて知ってたもんだな、人間の屑が! と言う訳で、多分不評だったのであろう、あの広報は

    2008.10.8 - 日記
  • 2008.4.9 - 日記

    昔々、まだヨーロッパ人が植民地を持っていた頃の話として聞いていただきたいのだが、その植民地にある某市の公園には斯くの如き看板が平然と掲げられていた。 犬と原住民入るべからず。 でさて、その看板を見た博愛主義的ヨーロッパ人曰く。 「別にいいんじゃないか。公園なんて、善良な原住民が入りたがるような場所でもなかろう」 同じ看板を見た《賢い》原住民曰く。 「公園なんておれたちには用のない場所さ。こういうのを差別だとは、おれは思わないね」 この両者の間では容易に気持のいい意見交換が可能になるだろう。所謂、話せばわかる、という奴だ。そして両者は、この看板を見て人を馬鹿にするのもいい加減にしろと言い出す原住民を横目で見ながらこう言う。 「いやまあ、それが君の芸だと言うならそれで仕方がないけど、でもそんなに頑張らなくていいんじゃないの?」 これは某所で名指しでいただいた冷笑に対する私の回答だとお考えいただ

    2008.4.9 - 日記
  • 2007.11.30 - 日記

  • 日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。

    新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。ほとんど終るところだ。ぶっちゃけた話、もっと別な書きようのあるだ。七十年代前半の郊外団地とその政治傾向、日教組系の怪しい教育方針とその影響、その怪しい方針に翻弄されながらも鉄道への愛に目覚め四谷大塚に通う小学生の回想、どれを取っても優に一冊分の量を必要とする内容だ。だが、短すぎる、盛り込みすぎる、が最大の欠陥と言うのは、むしろ天晴れなことだと言わざるを得ない。当時の同級生たちや当のカリスマ教師にも直接取材、というなら、その辺、もっと生な素材を見せていただきたかった気もするが。 私は今、猛烈に怒っている。ちっくしょう、そういう仕掛けだったのかよ、であり、人の貴重な時間を詰らんことのためにくすねやがって、であり(学校なんか行かずに家でピアノ弾いて英語習って、残りの時間読みたいを読みたいだけ読んで過ごしていたら、私はもう少しましな教養

    日記: 2007.6.13 新聞の書評で見て、『滝山コミューン1974』を読んでいる。
    lever_building
    lever_building 2007/06/14
    『滝山コミューン1974』
  • 2006.1.7 - 日記

    何となく思い出したので書いておく。その昔、某女流作家の評論家のパパのお話を聞く機会があった。ジョン・ギールグッドほどではないがなかなかに尊い老人であった(特にイタ電にも親切丁寧に対応なさっているというお話が感動的でねえ)。その尊い老人が、遡ること何年だか、どっかのバーで瓶に入ったただの水で金を取られて驚き、大変な時代になった、これからこの世界を支えて行くのは消費だ、我々凡百の有象無象も消費をやめるぞと脅すことでいかなる国家をも牛耳れるのだと(すんません、初期サブカル世代なんで、こういう演説書き始めると必ずちょっとショッカーの首領入ることになってます)、まあ概ねそういうことを説いて下さった時、私は何か変だと思ったのであった。変だと思って兎も角そう言ったら、スターリニストだと言われた。でまあそれ以来、何が変なのかずっと考えてきたのだが(こういうこと、多くてね)、二、三年前に、あ、そういうことか

    2006.1.7 - 日記
    lever_building
    lever_building 2007/01/07
    吉本隆明
  • 衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用     か? - 大蟻食の生活と意見

    エモい代物をエモエモ読んじゃ涙を流すのが胸を張って威張れることになったり、型抜き生産のプロレ向けポルノを文句一つ言わずに消費するのが小洒落た態度ということになったりしているうちに、この世からは小説を読むための最低限のリテラシーさえ失われてしまったらしい。どちらにも共通しているのは恐るべき無恥だ。当然、恥ずかしいとさえ思わないから、無知もまた堂々と蔓延ることになる。 プロレ向けポルノ愛好家は今や、機械の作った小説に簡単に萌えさせられるばかりか(それも十分恥ずかしいが、萌えたというなら仕方がない)、機械に萌えさせられているということを威張る始末だ。こんなに大勢の人間とおんなじ代物で抜いてるんだぞ、って、ずらっと横一列に並んでオナニーしながら威張られたってな。まあ、教師時代に学生から聞いた話じゃ、市場は神、横並びオナニーこそ未来、居並ぶ自涜者の列が長ければ長いほど偉い、ということなんだが、それ

    衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用     か? - 大蟻食の生活と意見
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