このあいだ、東京に行ったときに聞いた話しなのですが、任天堂の会長さんが京大病院で治療を受けた経験から病棟が貧しいので、ポンと巨額の寄付をしたというのが、たしかニュースにありましたね、ところがそれを聞いた文科省の担当が、それじゃもう京大にはこれだけの予算は差っ引くことにしますから、と言ったそうです。で、実際にそうなったので、その何十億円のお金は、寄付にならずに、国家の予算として扱われたようになったそうです。これを言ったかたは京大の医学部ですからもちろん憤慨しているのですが、その憤慨は、個々の努力をいっさい認めないのなら、みんなこれから寄付とかそういうものに努力するだろうか、というものでした。 これはとても含蓄のあるエピソードで、また今の日本を象徴する出来事だと思います。また、 案外、戦前の「贅沢は敵だ」というのに似ているのかもしれません。 たとえば、自分の住む町で小学校を改築するとします。国
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