川相昌弘(かわい・まさひろ)/1964年岡山県生まれ。1982年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け内野手として入団、2003年中日へ移籍。2007年に現役引退。通算犠打533は世界記録、ゴールデングラブ賞6回受賞。現在は野球解説者を務める。 ぼく、バッティング捨てたんです 川相がその力を発揮するようになったのは背番号を60番から0番に変えた89年のことだった。川相にとってはジャイアンツに入って七年目のシーズンに当たる。この年から監督が再び藤田元司になっていた。 「この年からぼく、バッティング捨てたんですよ」 どういう意味ですか、と聞き返すとこう続けた。 「藤田さんはピッチャーを中心に守りの野球をやっていくと言っていたんです。自分の得意な分野は守備だったんで、とにかくしっかり守ること。そして(打撃では)バントをしっかり決める。エンドランのサインが出たら、どんなボールでも転がす
!["バントの神様"川相がバッティングを諦めた日 ライバルより唯一優れていた持久力](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/deb847159bb296c375712e2d3daab36753d3119f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpresident.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F8%2F2%2F1200wm%2Fimg_82a299884f6661c789e8225a95b925f9941944.jpg)