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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (18)

  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

    草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ
    loca1982
    loca1982 2009/10/03
    あの頃はまだちゃんとニュースが見れない年代だったな・・・
  • 笑福亭鶴瓶が自然体でいられる理由- てれびのスキマ

    もし「現在、現役のお笑い芸人の中で、最も凄いのは誰か?」と訊かれたら、僕は迷わず、笑福亭鶴瓶と答えると思う。 そんな鶴瓶を特集した「SWITCH(2009年7月号)」はここ最近数多く発売されたテレビ、お笑い関係の書籍の中でも出色の出来だった。 この特集の中で繰り返し語られるのは、鶴瓶の人心掌握術、あるいは人間力の凄さだ。 冒頭から描写されるエピソードも実に鶴瓶らしい。 密着取材中、携帯電話にかかってきた電話の相手は、「家族に乾杯」のロケで出会った素人。 独特の丁寧なトーンで対応し、「さきほど録らせてもらった映像は、僕が責任を持ちますので安心してください」と言って電話を切る。 他にも、30年くらい前、大阪でロケをしたとき、トイレを借りた時に知り合った美容室の人とのいまだに途切れることのない交流も語られている。 そうやって、人との出会いを大切にしている彼は「特産物が送られてくる。そのお礼を送る

    笑福亭鶴瓶が自然体でいられる理由- てれびのスキマ
    loca1982
    loca1982 2009/07/20
    このブログの考察力はすごいと思う / 不思議な人だよね、つるべって。
  • 関根勤の妄想力 - てれびのスキマ

    先日発売された「お笑いパーフェクトBOOK」に掲載されている伊集院光と関根勤の対談では、関根が以前から繰り返し語っている「妄想」の素晴らしさを改めて語っていた。 「妄想はお金のかからない最高の娯楽」と言ったのはタモリであるが、この対談では、関根勤が、妄想を最高の娯楽にする極意を明かしている。 ポイントは3つある。 妄想は常にポジティブで 伊集院光は、自分の悪い癖として「妄想し始めると怖いほうへと最終的に行っちゃう」という。「ネガティブな方向にふくらむ」のだと。 しかし、関根は全く違う。 例えば、現実で「が僕のことを褒めない」と嘆く。しかし、関根はそこから、「どうして僕のことを褒めないのかな」と考えだし、逆に「もし付き合ってる頃から女房に褒められ続けたら」と妄想を展開していく。 男って一番身近な人、とか恋人に褒められたいものでね。褒められたら僕は、東洋進出していたはず。でもさすがに世界ま

    関根勤の妄想力 - てれびのスキマ
    loca1982
    loca1982 2009/07/16
    「「妄想はお金のかからない最高の娯楽」と言ったのはタモリである」 / 関根勤のすごさと妄想力と / あのすごさ、おもろさはちゃんと受け止められる年齢と力がないとわからないと思う 小堺さんもそうだね
  • タモリのたたずまい- てれびのスキマ

    5月3日に放送された「笑っていいとも!増刊号」の1コーナー「座っていいとも!」の中で木曜レギュラー陣とフリートークを交わしていたタモさん。 その中で、タモリがバラエティ番組出演中でも自然体でテンションが低い秘密を明かしていました。 何度も同様な趣旨なことは語られていますが、大事な話なので、また記録しておきます。 タモリ: あのねえ、俺から言わせてもらえば、皆が力入れ過ぎなの。 徳井 : せめて「続いては○○でーす!」っていうところくらいは普通張るじゃないですか。 高島 : 一番張ったのはいつですか? タモリ: 結構今日でも張ってたよ、俺は。 鶴瓶 : 張ってたの、あれで? タモリ: 俺にしては恥ずかしいくらい張ってたよ。 徳井 : いや、でもCM明けて「(呟くように)いいとも選手権で〜す」ってくらいじゃないですか。 タモリ: 違う違う、もっと張ってた。「い、い、と、も、選手権!」って。 鶴

    タモリのたたずまい- てれびのスキマ
    loca1982
    loca1982 2009/05/12
    いいとも増刊号は、あまり手を加えず流す(好きだった)⇒ナレーション入れた編集して流す(嫌いになった)⇒編集したけど付加価値付いた という流れで今に至っているという認識。座っていいともはおもしろい
  • オリエンタルラジオが背負った十字架 - てれびのスキマ

    「クイック・ジャパン(82号)」の特集「テレビ・オブ・ザ・イヤー」の中で、板尾創路とピエール瀧の対談連載「ハチ公じゃなぜ剥製にされたのか?」にオリエンタルラジオの中田敦彦がゲストに招かれ、「テレビ」をテーマに語っている。 「クイック・ジャパン(77号)」でのオリエンタルラジオのインタビューと併せて読むと面白い。 中田は『アメトーーク』の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に出演したことで広く知れ渡ったが、高校の頃は「ひどかった」。だから「勉強しかしなかった」という。 その結果、現役で慶応義塾大学に合格する。 そして一緒に合格した幼なじみから「二人で(お笑いの)サークルを作ろう」と誘われて、学園祭などでネタを披露するようになる。その後、他大学のお笑い好きとともにインディーズ活動っぽいことをしていくようになっていく。しかし、中田を誘った幼なじみは「プロになるつもりはない」と突然抜け途

    オリエンタルラジオが背負った十字架 - てれびのスキマ
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    loca1982 2009/03/06
    こういう考えって文章以上の経験をしないとでてこないよね
  • 2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」

    3月5日に放送された「アメトーーク」では「今年が大事芸人」として昨年ブレイクした芸人が数多く出演し昨年を振り返りっていた。ご覧になった方も多いかと思うが、あまりにも有吉弘行が見事に自分の置かれた立場を的確に分析し、それを言葉にしていたので書き留めておきたい。 まず有吉はブレイクするまでの軌跡を以下のように名付けた。 2007年8月  「おしゃクソ事変」 ↓  売れっ子の品川に牙を剥き浮上。 ↓ 2008年前半 「おしゃクソバブル」 ↓  「文句を言ってれば良し」という凄く楽な時期 ↓ 2008年中盤 「あだ名面倒臭い時期」 そして、有吉は「あだ名面倒臭い時期」に至った後、だんだんとやりにくくなってきている現状を具体的なエピソードを明かし訴える。 どこででもあだ名をつけてくれって言われるようになったんですよ。 ここ(「アメトーーク」)でやってるうちは良かったんですけど特徴も何もない人間につけ

    2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」
    loca1982
    loca1982 2009/03/06
    「ブレイクするっていうのはバカに見つかるってことなんですよ。」すさまじい視点
  • 「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ

    いよいよ1週間後に迫った「M-1グランプリ」。 過去の例から見ても、ここで活躍をすればその後の人生を変えるといっても過言ではない大会である。もちろんこの大会に出る芸人は、それに向けて様々な努力をして挑んでいる。しかし、基的にぼくらは、その完成されたネタしか見ることが出来ない。 そんな舞台裏を描いた貴重な資料としても一級品なのが昨年のM−1王者サンドウィッチマンの「敗者復活」である。 富澤たけしが、「M-1」に向けた準備について述懐している。 2007年のM-1に向けて、僕は集中的に研究を重ねていた。 『紳竜の研究』など、完成度の高い漫才DVDを片っ端から見まくった。ただ見るだけじゃなくて、「間」を測る方法、言葉の使い方、ネタの磨き方、お客さんの的確なつかみ……取り入れるべきポイントを意識的にチェックした。過去のM-1決勝のDVDも繰り返して見た。決勝に進出したコンビが、何をやって、どうい

    「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ
  • 2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」

    映画ファンならずとも、昨年の*1の「日アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ

    2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」
  • 明石家さんまの眠らない哲学 - てれびのスキマ

    今年の1月から、全17回にわたり「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載された「さんまシステム」。「ほぼ日」史上に残る傑作コンテンツである。 この連載の凄さは、さんまのあの引き笑いを 「クワー(笑)」 と、表現したことだけでは勿論ない。 常々「一体いつ寝ているんだ」と言われる明石家さんまの睡眠論を探るという対談のはずだったが、案の定、それだけでは終わらず、彼の芸人論やら、生きる哲学やらを喋りまくることになったからだ。 「27時間テレビ」を期に、もう一度読みなおそうとしたところ、最初から「期間限定」と謳っていたとおり、もう見れなくなってしまっていた。あまりにも面白い対談なので未読の方は書籍化とかの際は是非とも読んでほしいところ。 ということで個人的に特に面白かったところを抜粋して引用してみたい。ダイジェストで。 まずは、さんまの眠らない生活。それがいかに凄いものであるかを表すエピソード。 さんま「で、ジ

    明石家さんまの眠らない哲学 - てれびのスキマ
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    loca1982 2008/07/29
    さんまシステムもう見れなくなってたのか 残念
  • Youtubeでテレビ回顧録②「生き様としての江頭2:50」 - てれびのスキマ

    「1クールのレギュラーより1回の伝説」というのは、江頭2:50自身による名言であるが、数々の伝説を残している彼の当の伝説といえば、彼の生き様さえも映し出した「浅草橋ヤング洋品店」での「江頭グラン・ブルー」であろう。 当時の事が生々しく描かれている浅草キッド著の「お笑い 男の星座2」から引用しながら振り返ってみよう。 ことの始まりは、1993年のことである。当時、江頭は、お笑い集団、大川興業の構成員の中でも、そのノー・フューチャーで過激な芸風から演芸マニアの間で名を馳せ“放送禁止芸人”として、深く、そして静かに、その知名度を広げていた。 しかし、所詮はテレビ対応が出来ないアンダーグラウンドな有名人どまりでしかなかった。 ところが、そんな男の噂が、鬼才・テリー伊藤の耳にも及び、彼の広角レンズにロック・オンされるまでさほど時間はかからなかった。 程なくして江頭は、テリー伊藤からテレビ東京の新ゴ

    Youtubeでテレビ回顧録②「生き様としての江頭2:50」 - てれびのスキマ
  • 続・生き様としての江頭2:50 - てれびのスキマ

    再三紹介しているとおり「hon-nin vol.05」では吉田豪による江頭2:50のロングインタビューが掲載されている。 当に痺れる言葉や、泣けるエピソードが満載で、エガちゃんファンはもちろん、お笑いファンを自称する方は必読の内容になっている。 その中からほんの一部だけ紹介したい。 「ストリーム・コラムの花道」と併せてどうぞ。 正直な話、テレビでウケなかったときは自殺しようかなと思います(あっさりと)。このコンクリートにぶち当って死のうって。もうダメなんですよね、手を抜こうと思っても。 僕、ひとつだけ嫌なのは、歳の話するヤツなんですね。「エガちゃん、もう四十二歳なんだから」って。俺、そいつぶっ殺してやりたくなるんですよ。俺は自分で「歴史」を作ろうと思ってるのに、「四十二歳はチンチン出しちゃダメ」っていうてめえの教科書でものを言ってるじゃないですか。そういうこと言われちゃうともう、いっくら

  • 出川哲朗のリアル - てれびのスキマ

    現在発売中の「hon-nin vol.07」の吉田豪によるインタビュー連載「hon-nin列伝」のゲストは出川哲朗。 ・裕福だった少年時代、一転して借金を背負い高校卒業とともに「俺が働くから」と親族の前で宣言。 ・名店の吉兆に入る前提で、半年間、尼寺で庵主と二人っきりで修行。 ・自衛隊入隊の筆記試験で満点を取って幹部候補に。 ・自衛隊入隊を結局断ると、「幹部を約束されている」と引き止められる。 ・映画専門学校時代、(校長の)今村昌平に「あんた学校来ないクセに、こんなときだけ来てなんか言うな!」と噛みつき気に入られる。 ・卒業式で金八先生の加藤優ばりに「頂点取ったる! まあ、見とけや!」と宣言。 このような、デビュー前の話も面白かったが、やはり凄いのは、リアクション芸人としての出川哲朗の覚悟だ。 出川は「笑のためなら死んでもいい?」と問われあっさりと答える。 それは嘘でもなんでもなくて、現場

    出川哲朗のリアル - てれびのスキマ
  • てれびのスキマ - さまぁ~ずがさまぁ~ずであるために

    「クイック・ジャパン74」では、「さまぁ〜ずが、最近おもしろい。」と題した特集を行っている。 その中で、大竹一樹、三村マサカズにそれぞれ10,000字インタビューを敢行している。 コンビ結成から現在までを振り返ったこのインタビューで、なにより驚くのは、この二人の共通認識の多さだ。普通、コンビにそれぞれ自分たちを振り返るインタビューをすると、やってきた事柄は当然同じながら、その時思っていたことや、思い入れの深さなどが違っていて、同じコンビの歴史を読んでいても随分印象が違って見えるものだ。 しかし、さまぁ〜ずのこのインタビューは、同じ人が両方に答えているのではないかと錯覚するほど似ている。デビュー直後からそれなりに売れた頃のことや初の看板番組「大石恵三」が終わり冬の時代に入った時の挫折感、そんな冬の時代にコンビとして使ってくれた「諸国漫遊記」への思い入れ、そして改名を前後しての再浮上、今すごく

  • てれびのスキマ-芸人年表

    先日放送の「アメトーーク!」では「誰が先輩?後輩?はっきりさせよう」と題して、「芸人年表」を作成。 「養成所・弟子時代は含まず、初舞台(初仕事)をデビュー年とする」という「アメトーーク!」ルールで作られた「芸人年表」を、個人的に「年表」ものが大好きなので、そのままメモ。 ■1989年 雨上がり決死隊 ネプチューン名倉 ■1990年 カンニング竹山 千原兄弟 FUJIWARA ネプチューン原田、堀内 ■1991年 バナナマン日村 ナインティナイン ほっしゃん。 宮川大輔 くりぃむしちゅー よゐこ ■1992年 土田晃之 ココリコ 藤井隆 オアシズ 劇団ひとり ■1993年 ケンドーコバヤシ 陣内智則 たむらけんじ 中川家 ■1994年 ペナルティ にしおかすみこ バナナマン設楽 アンタッチャブル 山口智充 ロンドンブーツ1号2号 オセロ ますだおかだ ふかわりょう 長州小力 ■1995年 ス

  • てれびのスキマ - 岡村隆史はなぜ心を閉ざすのか?

    以前、「ジャングルTV〜タモリの法則〜」(94年〜02年)という番組があった。 その中の「ジャングルクッキング」というコーナー内で、タモリがレギュラーであったナインティナインの岡村隆史に対して、突然「お前、ちょっと閉鎖的だよ」と口を開いたことがある。 今でこそ、岡村のナイーブで生真面目な性格は一般に知られているが、当時は果たしてどうだったかは記憶にない。が、やはり世間的には岡村といえばどちらかといえばハイテンションで陽気なイメージだったのではないだろうか。 にもかかわらずゴールデンタイムのこの番組で、前述のタモリの一言がきっかけで「岡村はなぜ心を閉ざすのか?」をテーマにレギュラー陣(タモリ、ナイナイ、関根勤、新山千春)で議論が行われることとなった。*1 「番組上だけで、控室に行くと心を閉ざしている」と問題提起するタモリ。 矢部浩之の証言。 ・高校時代のサーカー部ではムードメーカーだった。

    てれびのスキマ - 岡村隆史はなぜ心を閉ざすのか?
  • てれびのスキマ

    人志の「大日人」プロモーション行脚でもっとも印象的だったのは意外なことに「SmaSTATION」だった。 それは香取慎吾が、「お笑い芸人」としては大好きだけど、「映画」という舞台に行ってしまう松に対しての戸惑いと不安を感じるという、大多数の松人志ファンの立場に立ってかなり率直な質問をしていたからだろう。 まず「映画は撮りません。映画でやれるのは「お笑い」ではなく「喜劇」なんです。喜劇とお笑いは全然違う」という松自身の著作「愛」(1998年)からの言葉を引き合いに出し、香取は「僕は松さんの事が好きです。一番最初の会見を見たときにショックだった。松人志という人は一度に書いたり、口にしたことを嘘をつくというかそういうことは凄く嫌いな人なのではないか?」と問う。 松「なるほどね……。僕ね、めっちゃ嘘つくよ(笑)。いや、芯はちゃんとあるけどね。 でもぉ、それは映画でお笑いやると喜

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  • 若井おさむの壮絶すぎる過去|てれびのスキマ

    若井おさむが千原靖史の家に泊まりに行ったら、パジャマ用にスウェットの上と上を渡され、仕方なくそれをそのまま履いて寝た、といのは「すべらない話」などで散々語られ、若井の人柄を物語る有名な話だが、何故、若井がそんなに気の小さい人間になってしまったのか? それを解く過去を若井おさむ人から靖史が聞いたという話を千原ジュニアが「チハラトーク #26」(ヨシモトファンダンゴTV)にて語っていた。どこまで当の話なのか分からないし、もう有名な話なのかもしれないが、書きとめておきたい。 若井おさむは幼い頃から母と兄に無茶苦茶虐待されていたという。 このままでは生活できないと思い、一人で実家を出て居酒屋のバイトから始め、店長に。 そうしたら母と兄の虐待の標的がいなくなったためそれが父親に移ってしまう。 父親ももの凄く気の弱い人で二人からボコボコにやられてしまう。 父親は時々、若井のやっている居酒屋に来て、

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  • 中谷美紀の発言が意外にガチな件について - てれびのスキマ

    中谷美紀は、その著書「嫌われ松子の一年」でも、映画「電車男」について「負け戦だった。私は立っていただけ」などと、正直すぎる発言をしているが、以前スカパーの日映画専門チャンネル「日曜邦画劇場」に特別ゲストとして出演し、軽部真一のインタビューを受けた際も率直すぎる発言を繰り広げていた。 −−−「電車男」の話をもらった最初の印象は? とても嬉しかったんですね。と、申しますのは、2ちゃんねる上のログには実はアクセスしたことがなかったんですけど、「電車男」が凄いよ、って言う話は随分前から伺っていていまして、で、あの新潮社さんからとして出版された際に読んでみたんですね。 どんなものなんだろう? って思ったらまあ、2ちゃんねる用語っていうんですか? 一杯出てきてなんか訳が解らなかったんですけど、読んでるうちに面白くなってきて、さらには自分の名前が出てきたんですね(笑)。 「某CMに出てる中谷美紀に似

    中谷美紀の発言が意外にガチな件について - てれびのスキマ
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