loop0914のブックマーク (95)

  • 第109回 不健康自慢 - 虹のかなたに

    第73回で、20歳以降、綺麗に5年おきで腎臓結石を患ってきたことを述べたが、3年前、戦々兢々としながら迎えた45歳は、無事に乗り越えることができていた。ああ、これも転職して生活習慣が変わったおかげよと自己満足に浸っていたら、昨日、会議中に、全くイレギュラーに、そして全く突然に、尿路に異変を感じた。8年ぶり6回目の結石である。 これまた下の話で恐縮であるが、これまでと違ったのは、石が尿管に到達するまで気付かなかったこと、従って「死んだ方が楽」とさえ思える疝痛に襲われなかったこと、そして確かに石が尿管を通過するのを認めたのに、出てきたときに便器に当たるカチンという音がしなかったことである。恐らく、それほどに小さな小さな石だったのだろう。因みに、これまでに苦しめられてきた結石の大きさは、いずれも米粒の半分程度。私はそんな小物と死闘を繰り広げているのだ。 まあ、こんなことを武勇伝よろしく綴るのも情

    第109回 不健康自慢 - 虹のかなたに
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    loop0914 2021/06/24
    拙ブログ、今年2本目の更新です。筆力を回復したい。
  • 防衛大学校卒業式 来賓代表祝辞全文 - 山猫日記

    横須賀は、関東の中でも春が早いところです。日は生憎の雨模様ですが、国家が緊急事態に直面し、それを乗り越えようとする中、今年の春の暖かさは、格別なものに感じられます。 防衛大学校を卒業し、研究科を終了される皆さまの卒業式にこうして列席し、お祝いのことばを申し上げる機会をいただいたことを、大変うれしく思います。また、ご両親ならびにご家族におかれましては、いつの間にか大人になってしまった我が子が、いよいよ陸や海、空へと旅立っていくことに、喜びや誇らしさとともに、万感胸に迫る思いでおられることと存じます。 今日という日は、二度とめぐり来ることはありません。みなさんは、卒業する前の大切な一年間をコロナ禍のもとで過ごされました。不意なことも多かっただろうと思います。しかし、いかに通常とは異なる形であろうとも、今日という日はみなさんの晴れの旅立ちの日であり、一回限りのはなむけの言葉を、わたくしからも

    防衛大学校卒業式 来賓代表祝辞全文 - 山猫日記
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    loop0914 2021/03/21
  • 第108回 遠くへ行きたい - 虹のかなたに

    Osaka Metro町駅の、御堂筋線と中央線の乗り換えエスカレーターに、「フェリーさんふらわあ」と鹿児島県による共同企画『2021年 鹿児島おおすみ12星座占い』のポスターが貼られている。大隅半島の絶景スポット・絶品グルメの12種類を「ラッキースポット」「ラッキーフード」として、今年の運勢を占うという企画である。 駅貼りの観光ポスターは往々にして、激しく旅情を掻き立ててくるので、旅好きには困った存在である。一つひとつのポスターを観賞しながらエスカレーターを上り、降り立つ場所にある最後のポスターにこんなフレーズが書かれていた。 「きっと未来は明るいでしょう。必ず会えると、すみっこから願っています」 この状況下で、こんなことを語り掛けられたら込み上げてくるものを抑えられず、何としても大隅の地に足を踏み入れなんと、想いは募るばかりである。 けれども、旅に出ることはまだまだ許されそうにない。

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    loop0914 2021/02/11
  • 第107回 親分の背中 - 虹のかなたに

    前職に、心の底から慕っていた「親分」がいた。 親分との出会いは22年前。親分38歳、私は25歳。夢破れ、無為な日々を過ごしていた私を拾ってくれたのが親分だった。モラトリアムと言いながらその実、この先の人生を模索することさえできず、しかし生きていかねばならないので、塾講師のアルバイトをしていた。塾なので夜の商売。昼過ぎまで寝ていたら、校舎長だった親分から電話がかかってきて、「お前な、その歳で定職にも就かずこんな時間まで惰眠を貪っとったらアカンやろ。社員登用の手続取っといたから、人事部に電話して面接の日程とか聞いとけ」、と。 3日後に人事課長との1次面接、さらにその3日後に役員面接、そしてその翌日には合格の連絡が来た。親分の「強引な優しさ」で、わずか1週間で私の人生航路は大きく舵を切ることになった。1次面接のとき、課長の手元にあった上長からの推薦書が見えた。そこには親分の字で、「即戦力。すぐに

    第107回 親分の背中 - 虹のかなたに
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    loop0914 2020/06/16
  • 第106回 花道に雪が舞う - 虹のかなたに

    新喜劇の内場勝則・辻茂雄が、座長を勇退した。就任から20年。今年で60周年を迎える吉新喜劇の歴史の、実に3分の1もの間、屋台骨を支えてきたのだ。花紀京や岡八朗を「新喜劇の巨星」と呼ぶことに異論などあろうはずもないが、20年の重みはやはり大きく、2人は紛う方もなく、「新喜劇の歴史に残る名座長」である。それだけに、喪失感も大きい。 正直に言えば、内場座長はそろそろその日が来るのかな、とは思っていた。舞台やテレビドラマなど、新喜劇以外での活躍も増えていたし、若手の成長も目覚ましく、後進に道を譲るような予感というか、覚悟はできていた。しかし、辻座長は、まだまだ集客力も高く、「筆頭座長」としてもう暫くは大黒柱たる存在感を示していくものだと思っていた。 辻座長には、ワンパターンだとか、若手に対して厳しいだとかの批判もあるようだが、私に言わせれば、あんなに後輩思いの座長もいないだろう。アキ・

    第106回 花道に雪が舞う - 虹のかなたに
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    loop0914 2019/04/03
  • 『第104回 入院回顧録(二)』

    さて、入院は1か月近くにも及んだので、勤務先には大層な迷惑を掛けた。人生で初めての転職をし、昨年7月から今の会社でお世話になっている。11月からは店舗のマネージャーを任され、新店の立ち上げをしたところだった。そして評価をいただき、2月に契約社員から正社員に切り替えていただくことになった、その矢先で開けた大きな穴だったので、ただただ申し訳ない気持ちに苛まれ続けた入院生活だった。 しかし、入院翌日には、事業部長と人事部長がお見舞いに来てくださり、「向こう1ヶ月は他店舗のメンバーで応援する布陣を組んだので、何ら心配することなく、療養に専念してください」と言ってくださった。次の日には、応援に入ってくださる社員でグループLINEが作られ、店舗の状況を日々報告くださった。その次の週には御年82歳になられる相談役がお越しになり、ご自身の心筋梗塞の経験を語りながら、「退院しても、ちょっとくらい無理が利くよ

    『第104回 入院回顧録(二)』
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    loop0914 2018/03/03
  • 『第103回 入院回顧録(一)』

    1月末から昨日まで3週間余り、入院していた。病名は心不全である。 11月の中ごろ、逆流性道炎を患い、近所の消化器内科に通院していた。胃カメラ検査も行い、薬を飲み続けていたが、一向に良くならない。再診の度に薬を一つずつ増やされては「これで暫く様子を見ましょう」と言われるのだが、咳が日に日に酷くなるし、前に屈むだけで胃酸が逆流してくる感じがしてとにかく辛い。そのうち、欲の減退と反比例してなぜか体重が増え続け、夜も眠れぬほどに呼吸が苦しくなってきたので、これはおかしいと思い、別の内科を受診したら、レントゲンを見て医師が一言、「心不全や。紹介状を書くけど、すぐ入院やで」。心臓の大きさが通常の2倍以上に肥大していた。受診が終わったらその足で出勤するつもりだったから、スーツ姿のまま、区内の大きな病院へ急患として搬送され、そのまま入院と相成った。 咳にしても体重増にしても呼吸の苦しさにしても、逆流性

    『第103回 入院回顧録(一)』
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    loop0914 2018/02/24
  • 『第102回 吉本新喜劇の「不易流行」』

    新喜劇が大好きである。土曜の半ドン授業を終えて小学校から帰宅し、昼飯をべながらテレビで放映される新喜劇を見ていたから、幼いときからずっと親しんできた。時間に余裕のできた最近は、なんばグランド花月(NGK)やよしもと祇園花月の舞台をしばしば堪能している。ライブの迫力はまた格別で、四十路を迎えて、ますますその魅力にハマっている。 ところで、ある週の毎日放送の放映で、辻茂雄座長の公演回を見た人たちによる、毎回同じでつまらないというネット上の書き込みを目にした。確かに「毎回同じ」である部分は多いが、「毎回同じ」ところでちゃんと笑いは起きる。私は、この回の公演をライブで観ているから、その笑いがサクラではないことも知っている。むしろ、“壮大なマンネリズム”こそが吉新喜劇のアイデンティティなのであって、花紀京、岡八郎(後の八朗)、原哲男、船場太郎、木村進、間寛平、室谷信雄といった人たちが看板で

    『第102回 吉本新喜劇の「不易流行」』
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    loop0914 2017/06/19
  • 『第101回 新・北国の春』

    新卒入社以来、20年余に亙って勤めてきた会社を辞めた。毎日毎日、ゾンビのように屹立してくる仕事に立ち向かい、自らを省みる心的余裕もあまりなかったが、どこかに「このままでよいのか」という、漠然とした閉塞感も覚えていた。第99回でも綴った、1年前の義父の死をきっかけに、もう少し家庭を顧みたいとも思うようになったし、手に職をつけてキャリアアップを図りたいとも考えた。 そういう訳で、退職を機に、というのも皮肉ではあるが、社会人になって初めて、有給休暇というものを行使し、所定の公休もつないで1か月まるまる休んだ。それまで残業や休日出勤の日々であったから、この落差はあまりに大きく、定年退職した人はきっとこういう心境で毎日を過ごしているのだろうと、仄かな理解を示している。ただ、如何に満身創痍の体を休めたいとは申せ、家に引き籠もってばかりいたのでは老化が一気に進んでしまうのではと不安にもなる。幸い、在職中

    『第101回 新・北国の春』
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    loop0914 2017/04/07
  • 『第100回 百物語』

    2008年の正月に始めた拙ブログも、途中、3年ほど放置したこともあったが、漸く100回を迎えることができた。私が拙文を認(したた)めるに際して範とした方のブログがあるのだが、この方は1997年に開始され、2005年に368回を以て擱筆された。そこまで続けられるかどうかは分からないけれども、まずは「100回」を目標としてみた。週に1というペースを確立し、そのペースで行けば、2014年の秋くらいに100回に到達できるという算段だったが、これで生計を立てている訳でなし、誰かから次回を心待ちにするファンレターが届く訳でなし、徒然の慰みに書き散らしているだけの駄文であるから、これだけの歳月を要してしまうのは宜なる話である。それでもご愛読いただいている奇特な方々の存在こそが、筆を執ることを続けられるエネルギーなのであり、心から感謝を申し上げる次第である。 それにしても、登山に喩えるならば、頂上が果て

    『第100回 百物語』
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    loop0914 2016/04/18
    拙ブログも漸く100回を数えるに至りました。 駄文を重ねているだけですが、今後もご愛顧を賜れれば幸甚に存じます。
  • 『第99回 決意を翻して決意する』

    2016年1月1日午前0時、タバコをやめた。「強い決意を持って、禁煙など断じてしない」と公言していたにも関わらず、である。「やめた」とかな書きにしたのは、「止めた」で表現は合っているのだろうが、心情的には「辞めた」という気もするからである。禁煙と言うより「卒煙」と記した方がしっくりくる。それにしても、およそ四半世紀に亙って続けてきた生活習慣を、急に変えることができるのか。1月の中旬には大きな仕事を抱えていたので、せめてそれが終わってからではダメか――などと家人に泣きついてみたが、「あかん」と一蹴されて終わった。そう、この「卒煙」は、家人の強い命令の下に遂行されたものなのである。 もともと家人は嫌煙者であり、自宅における喫煙場所は須らく指定されていた。そして、実家の義父も喫煙者であったが、同様にリビング内での喫煙は禁じられていた。「禁煙ファシスト」のレベルでの過激派ではないものの、それでも「

    『第99回 決意を翻して決意する』
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    loop0914 2016/02/08
  • NHKオンデマンド|エラーが発生しました

    同じ状態が続く場合は、お手数をおかけしますが、 NHKオンデマンドコールセンターまでお問い合わせください。 受付時間:9:30~22:00 電話番号:0570-083333 上記の電話番号につながらないIP電話、携帯電話などからの場合は 電話番号:03-6743-6777 トップページへ

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    loop0914 2016/01/31
  • 『第98回 運のない男』

    年賀状の発売が、既に10月末から始まっていたということを知らなかった。例年は11月に入ってからの発売開始だったように記憶している。昨今では年賀状を出す人も年々減少していると聞くが、早くから売り始めて話題化を図り、発売枚数を少しでも伸ばそうとする戦略なのであろうか。だとすれば、早くから売り始めたことすら知らなかった人間がここに1名いる訳であって、もっと派手に訴求を図るべきではないのだろうかと余計な心配をしてしまう。年賀はがきの販売ノルマに苦しむ郵便局員たちは自爆営業に走り、金券ショップに売り捌く際の差額は自腹というのだから、かかる憂慮は尚更である。 それはさて措き、年賀状というものは、出す(書く)のは面倒臭いけれども、もらうのは嬉しいという、“自分勝手の王道”の代表格ではないかと考える私は、この数年、もらった人にだけ出すというスタイルを取っている。流石に目上の人には、自分から差し出し、しかも

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    loop0914 2015/11/17
  • 『第97回 「ございます」の美学』

    先日、料理研究家の岸朝子氏が、91歳で死去した。氏の名を広く知らしめたのは、申すまでもなく、テレビ番組『料理の鉄人』であった。番組が終了して既に16年が経過するので、そんな番組があったことを知らないという若い人も多いだろうが、それでも逝去に際しての報道で、初代の鉄人3人からのコメントが寄せられるあたりに、今でも、この番組での姿こそが氏の印象として人々の記憶に刻まれていることが伺える。中でも、「おいしゅうございました」は、氏の人となりを表す決め台詞として夙に知られる。 そんなことを考えながら、「ございます」とは何と美しい表現であろうかと、今更ながらに思うのである。英語では何であってもbe動詞で済まされるのだが、日語は「だ」「です」「でございます」と、丁重さの段階に応じて助動詞にさえ使い分けがなされる。これが、外国人が日語を学習するときに難儀する点の一つであるという話も聞いたことがあるが、

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    loop0914 2015/10/20
  • 『第93回 修学旅行の本義』

    先日、知り合いの小学生の子が修学旅行に行ってきたと言うので、「どこに行ったん?」と問うてみた。答えて曰く、「明治村と、名古屋港水族館と、ナガシマスパーランド」と。 更に続けてみた。「ふうん。ところで『修学旅行』というのは読んで字の如く、『学問を修める旅行』なんやけど、明治村ではどんな学問を修めてきたん?」と。しかし、「……」と答えに窮している。可哀想なので、「『学問を修める』というのは、それによって学びを完成させることを言うねん。開国以降の明治時代の文化や文明について、学校の授業で習ったようなことがあれこれとリアルに再現されていて、ほっほーんと思ったやろ?」と助け船を出してみた。けれども、ますます俯き黙ってしまうばかりである。「ま、ええとしよか。ほな、名古屋港水族館では何を学んだんや?」「……」「ごめんごめん、じゃあ、ナガシマスパーランドでは? 観覧車から木曽三川が見えて、輪中の人々の暮ら

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    loop0914 2014/11/26
  • 『第84回 迷子の子猫ちゃん』

    勤務先は商都大阪のど真ん中、町の御堂筋沿いにある。Wikipediaを見ていると、「『淀屋橋-町の会社に就職すること』がステータス・シンボルと言われる傾向がある(東京人の「丸の内」に匹敵するブランド・イメージ)」といった記述がある。「どこで働いてんの?」と訊かれて、放出だの千林だの花園町だの駒川中野だのと答えるよりは、「町です」と言った方が聞こえがよいということなのだろうが、現業時代に下町の店舗を経験してきた私にすれば、スーツ姿の人たちが、言葉も交わさず足早に歩き去ってゆくようなところよりは、ヒョウ柄の衣裳をお召しになったおばちゃんがずけずけと寄ってきてあめちゃんをくれるような、ど厚かましさに溢れる街の方が、人間味があって好きである。 とは言うものの、殺伐としたビジネス街たる町にいても、見知らぬ人から声を掛けられることはしばしばある。昼を買いに外へ出て、ぼけーっと歩いていると、訊

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    loop0914 2014/05/06
  • 【大阪出身の作家・柴崎友香の大阪おすすめ場所】

    柴崎友香 @ShibasakiTomoka そして、今朝大絶賛ツイートをしたあべのハルカス展望台を作った方にもお会いできました!すごいタイミング。昨日謎に思っていた階段室の隙間、今の時期は間にちょうど夕日が沈むとうかがってまた感動! 四天王寺の西門から見る夕陽、夕陽丘という場所、大阪歴史がこんな形で表現されているとは! 2014-04-26 00:39:45 柴崎友香 @ShibasakiTomoka ハルカスの展望台、上町台地が一望できて、真下には四天王寺の伽藍の配置がよく見え、そのずっと先には大阪城。西に海、東に生駒(その向こうが奈良)で、シルクロードやら仏教伝来やらから今に連なる大阪歴史がしっかり目に見える。美術館のオープニングが「東大寺展」なのも納得。 2014-04-26 00:43:16

    【大阪出身の作家・柴崎友香の大阪おすすめ場所】
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    loop0914 2014/05/04
    プロの作家だから表現や感性が研ぎ澄まされているのは当たり前なのだが、それにしても「JR大阪駅は、ターミナルとは何か、都市とは何かというのを劇的に視覚化してる」の一文には舌を巻いた。
  • 第82回 子どもは大人の鏡|『虹のかなたに』

    いきなり下の話をして誠に恐縮であるが、今日、外回りから戻る途中に腹痛を催し、命からがら会社まで戻ってトイレに駆け込んだ。ところが、事無きを得て安堵したのも束の間、さてと思ったときに、我が身に降りかかった悲劇に気付いたのである。トイレットペーパーがストックを含めて皆無なのだ。こんなときに限って、ポケットティッシュの持ち合わせがない。トイレ内に誰もいないのを入念に確認した上で、隣の個室に瞬間移動を図って何とかなったのであるが、前屈みでいそいそと移動する様は、大の大人の姿として、あまりに情けなかった。 勤務先が入居するビルというのは実に清掃がよく行き届いたところで、テナント入居の社員どもが狼藉の数々を働くにも関わらず、清掃スタッフのおばちゃん(沖縄出身)は、「なんくるないさー」とばかりに文句の一つも言わず……いや、「なんくるあるさー」(?)とばかりによく嘆いておられるのではあるが、それでも毎日ビ

    第82回 子どもは大人の鏡|『虹のかなたに』
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    loop0914 2014/04/07
  • 『第81回 通勤天国』

    3月も下旬となって、新年度の準備に慌ただしい人も多いだろう。この春から、進学や就職で新生活のスタートを切る人にとって、住まいをどこに構えるかというのは、ちょっとした問題ではないかと思う。 私が通ったのは、千里の丘に聳える某マンモス私大であったが、大学近傍には「学生街」が形成されていて、スーパー・コンビニから飲店やビデオレンタル店、果ては雀荘に至るまで、一通りのものは揃っている。日常生活を営むのには全く事欠くことはなく、親元を離れた生活を営む人で、卒業して就職した後もそこに住み続けるケースは少なくない。ただ、最大のネックは、ご学友の方々に屯(たむろ)されることである。私は決して人付き合いが苦手な人間ではないのだが、一方で、家の中での「自分の時間」を大切にしたいとも考えるので、あまり人を自宅に呼びたいとは考えないのであり、これは今でも同様である。 そう言えば、社会人になって暫く経ったとき、バ

    『第81回 通勤天国』
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    loop0914 2014/03/23
  • 『第79回 活字におけるTPO』

    随分前のことだが、勤務先で、ある幹部が1枚の書面を手にして嘆きの溜め息をついていた。「どうされたのですか?」と訊くと、「これを見てみて」とその書面を差し出された。始末書のようであったが、内容よりも、その見た目に絶句してしまった。フォントが全文、「丸ゴシック体」だったのである。 何が問題なのかと訝られる向きもあるかもしれない。しかし、実際を見ていただきたいのである。 これが普通の始末書である。これを丸ゴシック体で表すと、こうなるのだ。 如何であろう。あくまで個人の主観ではあるが、私にはここから、書き手の「にやけた笑顔」がイメージされてならず、およそ反省の色など感じられないのである。 フォント選びにおいて、視認性は第一義的に重要ではあろう。しかし、それと同時に「文面や内容に相応しいかどうか」の視点でも書体が選ばれて然るべきだと思うのである。 汎用性が高いのは何と言ってもゴシック体で、街中の看板

    『第79回 活字におけるTPO』
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    loop0914 2014/03/10