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くりかえし読むと日本に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 「共依存」〜ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さ - 障害・介助・外傷

    共依存 苦しいけれど、離れられない (朝日文庫) 作者: 信田さよ子出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2012/05/08メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 24回この商品を含むブログ (7件) を見る 前号で、上野千鶴子さんの『ケアの社会学』を紹介した。ケアを家族の束縛から解放させ、その社会化をより一層切り開こうとするこのの意義を一定認めつつ、他方で障害者介護保障運動の視点から、このの限界を何点か批判的に指摘した。批判の一つとして、前号では指摘し切れなかったが、ケアの与え手役割を担わされてきた者の加害性についての言及がない、という点がある。 「自立生活運動は常に、健常者社会、健常者文明一般を批判すると同時に、目前に立ちはだかった「母なるもの」と対決してきた。母はしばしば障害者にとって直接の抑圧者であった。」と前号の拡大版(前のブログ記事)で書いたことがある。 健常者の男

    「共依存」〜ケアを通しての抑圧の悲哀と隠微さ - 障害・介助・外傷
    lotus3000
    lotus3000 2013/07/21
    愛という名の支配。母なるものの暴力。俺もサディズムはよしとしないが、このような暴力も恐ろしい。
  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

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