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社会思想史に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 「みんな」の無謬性の仮定と「疎外」という概念について - svnseeds’ ghoti!

    松尾先生の『「はだかの王様」の経済学』(asin:4492371052)に対する山形さんの強烈な書評を読んでの感想を書いてみるよ。ていうかやっぱりルソーって罪深いよなあとつくづく思いました。南無南無。 松尾先生のこのは未読なんで(でも例によって買って積んではある)、そもそもこの時点であれこれ書くのは失礼千万な話だとは思う。なので、あくまで今回のエントリは、山形さん、econ-economeさんによる書評、および田中先生のエントリ、松尾先生ご自身の疎外に関する説明を読んでの感想ということでご容赦下さい。近日中にちゃんと読んで、必要であれば訂正するようにいたします。これ変だ、ってところがあれば是非ご指摘いただきたく。よろしくおながいします。 ということでまずは山形さんの力説するとおり、やっぱり「疎外」って考え方はどこにも行き着かない袋小路のようなものだなあ、と改めて思った次第。 例えばわかり

    「みんな」の無謬性の仮定と「疎外」という概念について - svnseeds’ ghoti!
    lotus3000
    lotus3000 2012/03/15
    みんなと、ナルシズムの関係について。でもある程度善性を信じないと信頼ができないという問題があるのかもしれない。だから天皇制と同じ危険性があるとしてもまだマシと判断している人もいるんじゃないかな。
  • http://www2.ttcn.ne.jp/~space303mr/jun-10.htm

    「来るべきアジアの一神教」について 日近代思想史上、国際主義とも帝国主義イデオロギーともとれる特異な<アジア主義>思想。この起源は荻生徂徠の小中華的な聖人東遷説にはじまるとも考えられる。徂徠といえば兵学書『鈐録』は文禄-慶長の役を素材としているが、この秀吉の朝鮮出兵を日帝国主義の起源とする論者も私の周辺にいた。このように<アジア主義>は江戸期以前にすでに伏在していたという見方もあれば、小田路泰道氏のように明治維新当初におけるモンロー主義の移植的表現だったという見解もある。「アジア」なるもの自体、語源的にローマ帝国の一属州の名称であったことを想えば、アジア-主義とはいっても、その発想のフレームはとてもアジア的とはいえない-ということは、サイードを読んだ読まぬか以前の「常識」になりつつある。 そうはいっても「アジア」は日を含む近隣地域であり、ともに悠久の交流をもち、遅れた資主義でもある

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