kaba40 @koba31okm 新大久保関連はあまりしっかり経緯を追ってないのでなんともよくわからないんだけど、チラホラ目に付く限りだとレイシストvsリベラル という感じではなくて、基本的には反レイシストな人同士でバトってる感じになってきたな。反レイシスト活動してる人とはんおーぐさんがやりあってたり。 2013-03-04 23:09:05
「本人のせい」と「社会のせい」の両極しかない。 こんな発想のままあれこれ論じても、問題のメカニズムに加担したままだ。 本当の問題は、主観性と集団のありかたを同時に考えるところにしかない。――つまり問題は、個人だけでも社会だけでもなく、《関係性》にある。 つながりがどういう前提と作法で営まれているか。 「医者だから偉い」とか「当事者に逆らうな」まで含め。 自分がどういう作法を生きているかを誰も主題にせず、業績を挙げたり正義の味方になったりすることしか考えていない。 メタ言説の誇示しあいっこで関係性がマネジメントされる*1。 ふんぞり返ってひきこもり支援を論じながら、身近な関係はひどい――それが当たり前だと思われている*2。 医師や学者は、社会問題を自分の業績のネタにする。 本当に必要な問題意識が学界のディシプリンに合わなければ、自分の業績のために “学問” を優先させる*3。 社会性について
「正しい側よりも、弱い側につきたい」――このロジックに徹底的に抑圧されてきたことにようやく気付いた。 正しいことを言っても、分析的に発言している時点で、「より強い立場にいるから」責められる。間違っているから責められるのではなく、むしろ「正しいから」責められる*1。 公正さというと、ふつうは制度設計論になっている。しかし社会参加への取り組みを細かく考えるなら、身近な関係での公正さがどうしても要る。親密圏において、あるいは職場において。この身近なマネジメントが徹底して不正義の反復になる、むしろ不正義こそが「正義」の名で語られる。そこへの批判が暗に禁止され、ひどい目に遭った人はひたすら我慢するしかない*2――この許しがたさを誰も言葉にできていない。 身近な関係に有益な合意は、かならずしも第三者的にはフェアではない。利権とナルシシズムの持ち合いにはそれでよくても、公の場所で検証されたらひとたまりも
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