フェリックス・ガタリ的な「マイナーな存在になること」とは要するに「父になること」の拒否、もっと言えば責任逃れの言説でしかなかったのかもしれない。 2012-03-12 21:27:36 via web 特異化や「lignes de fuite」(漏洩線)が逃避でしかない、というのは、彼らが日本で流行した80年代以来の典型的な批判だったはずです*1。 「マイナーになること」*2で考えなければならないのは、まさにメタとオブジェクトの関係でしょう。以下、私の問題意識のメモです。 80年代の流行では、「スキゾ」を水平方向だけで語り、垂直方向の原理については何も語らなかった。浅田彰は快楽主義で良かったが、それは彼一人がうまくいっただけで、原理的には何のヒントにもなっていない。 硬直したツリーが解体されただけで、時間性を含んだ形で縦軸を設計しなおせていない。だから神学的前提に基づいたメタ言説の乱立にな