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2013年11月30日のブックマーク (10件)

  • WEB漢籍解題(桂五十郎)

  • http://www9.plala.or.jp/shipwright/contents4.html

  • AMNブロガー勉強会、あるいは「スゴイと言ったら伝わらないこと」+ - 白鳥のめがね

    twitterでAMNの企画があると知ってすかさず応募したのだけど、参加した結論のひとつは、やっぱり今はtwitterが旬、ってことだった。あと、Webって結局、きっかけにすぎないんだな、と思った。それだけに、限りなく有意義にも、限りなく重たいものにも、なりえる、ということかな。 応募した動機は、失業中で暇はあるし、普段会わない種類の人に会ってみるのも面白いかな、というところで、初めは岡田有花さんの話が聞けるとは思ってなかった。行ってみたら、炎上経験について岡田有花さんが切込隊長にマイクを向けて、それに小飼弾がつっこむみたいな、生で見ておいしいイベントだった。 細かい話については、いろんな参加者の方が詳細にまとめているので割愛*1。 http://agilemedia.jp/report/20090619/review_14_0.html 私自身も記者を仕事にしていたことがあるので、「書く

    AMNブロガー勉強会、あるいは「スゴイと言ったら伝わらないこと」+ - 白鳥のめがね
  • 人文的教養と軽蔑+ - 白鳥のめがね

    書評を読めばダメな理由がわかる―二つの「知」と古臭い感性+8 - 白鳥のめがね で触れた はてなブックマーク - 404 Blog Not Found:人文科学者がダメな理由がわかる - 書評 - 日を変える「知」 について。 次のような言葉が出てくる。 自然科学者たちの、研究対象に対する畏敬の念は、門外漢にも伝わらずにはいられない。彼らを研究へと突き動かす力は、非科学的と言っていいほど感情的で、そしてその感情が畏敬である。私が知る限り、例外は一人もいない。 むしろ研究対象との「間合いの取り方」は、人文学者の方が「科学者然」としているようにすら思える。量子力学以上に、客観性が成立しづらい状況がそうしているのか、単に人文学者が鼻持ちならない人々なのかは無学者たる私にはわからない。が、少なくとも自然科学者からびしばし伝わってくる、あの研究対象に対する呪術的ですらある畏敬を、人文学者たちから感

    人文的教養と軽蔑+ - 白鳥のめがね
  • 書評を読めばダメな理由がわかる―二つの「知」と古臭い感性+8 - 白鳥のめがね

    なんかダンコーガイ氏がひどい書評を書いたという噂がTumblrを流れてきたので、久しぶりに当該書評を見てみたら、シノドス*1のを口汚く罵っているのね。 日を変える「知」 (SYNODOS READINGS) 作者: 芹沢一也,荻上チキ,飯田泰之,鈴木謙介,橋努,田由紀,吉田徹出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/05/22メディア: 新書購入: 15人 クリック: 129回この商品を含むブログ (52件) を見る こうやって貶めて何が楽しいのかがよくわからない。dankogai的表現をあえて使うなら、こういった書評には「生産性がない」。 memorandum@tumblr. - 血、じゃなかった、知、でもなかった、痴の匂いに惹かれて購入。 "dankogaiブログビジネスモデルは、必死な編集者からの献を一読。まず煽りの一言、次目次、その後はの内容に全く関係ない俺理論を書

  • 山本健吉『詩の自覚の歴史』/人の孤独と小さな舟と - 白鳥のめがね

    今までこのブログで何度か万葉集について触れた。例えば、吉増剛造がどんな風に万葉集を読んでいたかについて言及した次のエントリーとか。 近代日語に弔いを(6) −残された音の痕跡− - 白鳥のめがね でも、万葉集について触れても反応が薄いので、ちょっとがっかりしていたものだ。アクセスログを見ても、蕪村で検索して見に来る人は途切れないのに、万葉集で検索してくるひとなど皆無である。 品田悦一氏の『万葉集の発明―国民国家と文化装置としての古典』を読んでみると、日の古典教育は平安時代を中心にしていて、万葉集など入試にも出ないので、読む人が少ない、という話が序文に書いてあった。なるほどね。まあ、私も、歌人と結婚することにでもならなければ、万葉集に興味を持ったりしなかっただろう。 さて、私が万葉集に興味を持ち始めたのは、斉藤茂吉の『万葉秀歌』を読んで以来で、それまで持っていた平安朝的和歌のイメージとは

    山本健吉『詩の自覚の歴史』/人の孤独と小さな舟と - 白鳥のめがね
  • オルタナティブカルチャーの源流からみる「素人の乱」と「渋家」について。 - 未来回路製作所 Hatena店

    もともと僕がシェアハウスに住み始めたのは東中野にある「沈没ハウス」というところなのだけれども、そこは成立の由来として90年代にちょっと流行った「だめ連」というのがありました。もともとだめ連って、働きたくないしお金もできるだけ使いたくないっていう、いってみれば貨幣経済システムから外れたところでコミュニティや文化を作っていこうという運動でもあったと思うのだけれども、そのこともあり、やはりお金の力を行使することに関して、嫌悪感というか罪悪感のようなものが多少なりとも働いていたと思います。コミュニティの内部の倫理的なものとして。けれどもそれは、だめ連がサスティナブルなムーブメントにすることを困難にした側面もあると思っているのです。そして、その問題解決には次世代の登場を待つことになります。 もちろん、だめ連が貨幣経済への感覚が薄かったことには時代的な背景があります。その頃はまだ、バブル景気の香りがま

    オルタナティブカルチャーの源流からみる「素人の乱」と「渋家」について。 - 未来回路製作所 Hatena店
  • 『火垂るの墓』誰の犯した罪と罰。 - 法華狼の日記

    野坂昭如自身の戦時体験を参考にした小説『火垂るの墓』は、1988年に高畑勲監督の手でアニメ映画化された。 戦時中の兵庫県を舞台にして、両親を失って親戚の家に同居することになった兄妹、清太と節子。しかし貧しい共同生活になじめず、ふたりで家を出て防空壕に住みつく。物資が欠乏するなかで終戦をむかえるも、それぞれ間もなく衰弱死した。 そうした一夏の記憶を、死者の回想として描いている。 この物語で兄妹が亡くなった原因について、定見がないまま親戚の家を飛び出した兄の責任を問う意見がある。そうでなくても、主人公の設定がかなり特殊なのではという指摘は多い。 もちろん、両親を死にいたらしめた戦争を始めたのが大人だとか、子供が愚行をおこなっても社会が保護するべきだとか、どれほど重い罪でも死ぬほどの罰が与えられるべきではないとか、そうした反論はいくらでもできる。 その上で、主人公の愚行にどのような意味があるのか

    『火垂るの墓』誰の犯した罪と罰。 - 法華狼の日記
  • オタクならではのシニシズム克服可能性 - 法華狼の日記

    弘『神は沈黙せず』のネタバレ注意。 メカAG氏による以下の『神は沈黙せず』批判には、明示された描写との齟齬が多い*1。 : _ またストーリーの構造から言えば、結局主人公の最終到達点は「神がいようがいまいが自分には関係ない」となるのだけれど、これって中盤で主人公が批判している宗教家の考えと同じだと思うんだよね。主人公はこの宗教家に対して激しく神が実在する証拠を要求する。宗教家は終いには「神が当に実在するかどうかは我々の宗教にとって重要ではない」と言い出す。主人公はこれを聞いて「宗教にとって神こそが何よりも重要のはずなのに、それがどうでもいいとは何事か」と唖然とする。(この辺うる覚えなのであしからず)。 これが単行120頁前後で主人公が様々な人々へ宗教観をインタビューしていく場面だとすると、明らかな誤読だ。そもそもが神の実在を信じている人々に質問をしていく場面なのだから、実在性を疑う

    オタクならではのシニシズム克服可能性 - 法華狼の日記
  • 反・反レイシスト厨はゴミカスである - ロゴス・スーサイド・ボミング

    2013-10-04 反・反レイシスト厨はゴミカスである 最近、しばき隊(解散済み)関係者が警察の御用になったらしいけど、まあ在特会もカウンターも今や立派な公安案件らしいのでしょうがないでしょう。 だがこの件で一番調子に乗っているのは、在特会ではなく反反差別厨とでも言える連中である。「暴力に暴力で立ち向かうことこそ暴力だw」と、小学生でも言えるようなロジックを振りかざして、カウンターをなじっているわけである。 だがご存知の通り、そういうああ言えばこう言うネット的なメタ・ロジックこそが、ネトウヨ的な差別主義を助長してきたのである。例えば「在特会はマイノリティだから過激化しているのであって、マジョリティの反差別感情を掘り起こすことと、警察に一任するべき」、とほざいている人がいたけど、そもそもマジョリティが反差別で意思統一されているかなんて分からないし、警察が対処したところでヘイトが減ってきてい

    lotus3000
    lotus3000 2013/11/30
    ”彼らの相対主義的な正義感と、2ちゃんねる的なシニシズムは同根のものなのだ。”相対主義それ自体を目的化することの問題点。