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2014年8月23日のブックマーク (4件)

  • 中杉弘 - Wikipedia

    中杉 弘(なかすぎ ひろし、1941年〈昭和16年〉9月5日 - )は、日の思想家・実業家・宗教家。名は黒須 英治(くろす ひではる)。 都立小山台高校中退後、工学院大学専門学校応用化学科卒[1]。フィリピン国立イーリスト工科大学名誉工学博士[2]。 日平和神軍総統(※現在[いつ?]、日平和神軍は存在していない)[3]、グロービートジャパン会長[3]、イオンド大学総長[3]、正理会会長[3]、宝榮山妙法寺管長[3][4]。 かつて日経企画出版局などから多くの著作物を刊行しており、その中には宝榮山妙法寺の在家僧侶養成講座のテキストとして使われているものがある[5][6]。 近年では『寺門興隆』2011年6月号と2012年5月号で宗教法人を売買で取得したとされる宝榮山妙法寺の寺院規則全面的変更を巡る係争事件が取り上げられた[3][7][8]。寺院規則の全面的な変更申請に対し、2009年

    lotus3000
    lotus3000 2014/08/23
  • 篠沢秀夫 - Wikipedia

    最初のはフランス留学中の1962年に自動車事故を起こして失った[5]。その後、学習院大学で篠沢の補佐だった礼子と1965年に再婚した[6]。最初のとの間に生まれた長男は、1975年に部活動の合宿中、海で溺死した[5]。 保守論客の一人だった[7]。2004年8月より日文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組「桜塾講座-篠沢講座」では講師としてレギュラー出演し、「仏文化と日文化」の共通性等について解説した。 血液型はAB型で、趣味は乗馬。秋篠宮文仁親王とは馬術仲間であった[8]。軽井沢に別荘を所有し、病気発症後も通うなど、好んで訪れていた場所であった[8]。また、映画「南京の真実」の賛同者でもある[9]。 2006年6月に「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日教育再生機構」に参加。発起人[7]。2007年に、アメリカ合衆国下院121号決

  • 承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう

    現代日が非承認型社会なのか、だいたい社会が承認を担保してくれることを期待してる奴ってキモくね、とか思うけど。承認って妙にネットワーク効果があるよね。誰かから認められ、そういう評判があると他の誰かからも認められやすいし、誰かから認められたという自信に裏打ちされた行動が、他からの承認を勝ち取ることもある。だから簡単にポジティブ・フィードバックでベキ法則風に分配されてしまうし「どーせ承認されないし」的ジタバタをやったところでハリネズミ症候群となってしまったり、そもそもエントリーポイントどこ?的な話はある。 この問題、決して昔が良かったとは思えないんですよ。昔からの承認って職能的なところは社会的地位に紐づいていて人にはどうしようもなかったりしたろうし、人格的なところは村社会で非常に狭いところに押し込められていただろうから。そういう諸々が郊外化で崩壊して、団塊世代がヒューマニズム的な教育観を持ち

    承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
  • ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚2

    はじめに なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ! 読んでて、そもそもどういう「承認欲求」のことを言っているのかよくわからないし、それを夢とか自己愛とかとアクロバティックに繋げられてもなんとも言いがたい、というのが正直な感想でした。ういにゃんさんのツイートを受けて書かれたんじゃないかなと邪推しておるのですが、具体的な場面に沿って確認してみないとうまくあてはまるかどうかわからないな、と。 それはそれとして、じゃあ「承認」という言葉について、どんなふうに遣われてきたのか、そろそろまとめがあってもいいんじゃないかなと思って調べてみました*1。調査歩法として、「承認欲求」ではてなブックマーク検索して、100ブクマ以上の記事を眺めつつ、主観も交えながら目星をつけて、周辺の記事をたどってまとめました。なぜ08年までかというと、黎明期が見れて面白いというのと、単純に古いほうから

    ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚2