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ブックマーク / blog.livedoor.jp/koshek (2)

  • Дневник Сейтена:アイスランド語化してもいいが

    「外国語をそのままカタカナにして使うのはケシカラン。外国語は、漢語的に翻訳して日語に採り入れるべきだ」という声はしばしば聞く。 しかし、むしろオーラルにおいてはカタカナ語の方が便利だ。日語は同音異義語が絶望的に多く、その意味を表意文字に依存する度合いが高い。それが良くも悪しくも日語の特性であるのだが、表意文字依存は知的基盤を共有しない公衆に対して、オーラルで広く呼びかける演説などの伝達手段の効果を低めている面も否めない。 さらに言えば、漢字を見ればコトバの意味をなんとなくわかった気になる点は、便利な反面、コトバの厳密な定義と意味の使い分けが必要な場面には、むしろ有害である。漢字を見ればなんとなく意味がわかるという言語文化に慣れ親しんだ人間は、わかった気になればそれで済ませてしまうので、コトバについて調べて定義を厳密にする習慣に乏しい。 カタカナ語は、表意文字に依存しないので同音異義語

  • Дневник Сейтена:他者化したがる人々

    日未明、日自治共和国首長速水螺旋人閣下が民族問題に関する重要な提起を行った。 冗談めいた口調はともかくとして、これは結構マジな話ですよ。ネットに於けるКорейский民族への嘲笑があまりにも多いということね。こうしたネタを書いている人の多くは心底のレイシストなんかではなくて、ちょっと面白いからネタにしている、あるいはテレビ等で報道されるантияпонский行動への当然の批判として捉えているのかもしれない。だが、こうした人種・民族を嘲笑して他者化する行為そのものが、中長期的にはポグロムに繋がらないかと速水先生は危惧しておられるわけだ。 具体的な政策や政治体制、政党や圧力団体、企業を批判するのは個々人の自由だ。具体的な個人の批判も名誉毀損にならない方法でならば、まあ、いいだろう。だけれども、民族そのものの批判はどうかと。ましてや民族への侮辱は危険な行為だ。 というのは、民族なるものは

    lotus3000
    lotus3000 2011/11/08
    2012年11月25日再読した。悪化の状況にあり。
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