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ブックマーク / thought.air-nifty.com (3)

  • ハンナ・アーレント『人間の条件』を読む(3)――《公共性》とは何か(下) - 一酔人経綸問答

    ・ハンナ・アーレントの《公共性》が、「リアリティ」を問い直そうとした点、要するに単なる「情報」と言葉による「説得」とが異なることを問題とした点にこそ、その意義があることを前回確認しました。アーレントは「活動」の具体的な事例として「約束」と「許し」という言語行為を挙げていますが(第33-34節)、「私はあなたと約束します」「私はあなたを許します」という言葉がリアルなものとしてわれわれの耳に響くのは自明なものではありません。それにもかかわらず、われわれは誰かと「約束」し、ときに「許し」ている、そうした言語行為である政治を驚きと共に記述したのが『人間の条件』であると思います。 ・アーレントが《公共性》を「リアリティ」という視点で問い直した背景に、当時のワイマール・ドイツの「公共性」の危機があったこと、それが今日のわれわれにも通じる問題であることは前回指摘しました。国会での論戦など茶番劇だというシ

    ハンナ・アーレント『人間の条件』を読む(3)――《公共性》とは何か(下) - 一酔人経綸問答
    lotus3000
    lotus3000 2011/08/16
  • 「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収) - 一酔人経綸問答

    ・鳩山首相の掲げる「新しい公共」。「NPOのみならず、消防団やPTA、商店街、会社など多様な公共の担い手が、国や地方の政府とも連携、協力しながら、居場所と出番のある社会を作ること」が豊かな「公」を実現するという(鳩山首相4/26ツィッターより)。 ・だがこの「新しい公共」の議論で根的に欠落しているのは、「公共性」が孕む権力性・暴力性への認識である。みんなで仲良くハッピーなら「公共性」云々などそもそも不要である。多様で対立する意見・利害・思想から何を「公共」として取捨選択するのか、その取捨選択のアートこそが「政治」であることは子供でも知っていることではないのか。政治家ならなおさらこうしたアートに通じているだろう、「友愛革命」なんて実は「高貴な嘘」だろうと思っていたが、鳩山政権の迷走を見るとそうでもないらしい。そうなるとこの「新しい公共」の行方も怪しいように思える。 ・この「公共性」の孕む権

    「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収) - 一酔人経綸問答
  • 「全体主義」というユートピア――伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年) - 一酔人経綸問答

    ・伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年)が今年度の日SF大賞に選出された。非常に喜ばしいことであるが、同時にこの優れた作家さんが既に今年の3月に亡くなってしまったことが残念でならない。私見では『ハーモニー』が優れている点は、オーウェル『1984年』や、ハクスレー『すばらしき新世界』の所謂アンチ・ユートピア(ディストピア)のモチーフを用いながらも、オーウェルやハクスレーで曖昧にされた問いを先鋭化したことにあるように思う。その問いとは「人は全体主義の社会でも幸福に生きていけるのではないか」というものに他ならない。 ・『ハーモニー』の世界は、ほとんどの「病気」が駆逐された超-福祉社会である。WatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムによって、個人のカラダが常に健康であるように保たれ、病気は即座に除去される。地域の医療崩壊やインフルエンザに震える現代社会からすると夢のような社会だが、

    「全体主義」というユートピア――伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年) - 一酔人経綸問答
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