エスペラントは中立な言語だ、と言われている。私はそうではないと思っているが、ここで考えるのはその、言語そのものの中立性ではない。政治的・宗教的中立性のことである。 例えば、食べ物のことを「中立」に扱うことができるだろうか。食事や食物に関することは「中立」を保持できるだろうか。 これは難しい。イスラムの人びとが豚を食することを厳格に禁じられているとして、食肉・肉食のことを彼らと自由に語るのは、どのような配慮が必要か、私は知らない。 私は鯨肉をそんなに好きではないが、当然、クジラの保護は平和の不可欠の要素であると考えている人がいるらしいから、彼らは鯨食を攻撃するか、あるいは調査捕鯨について何らかの否定的な見解を鯨食者から引き出さずにはおれないだろう。 菜食主義の人たちは、そんな残酷な話はしたくない、というかもしれない。犬を食べる、猿を食べる、魚の活け作り食べる、蛸を踊り食いする、ナマコなんか食