ネット言論の一番奥深いところにある幻想は、「我々は独立した感覚と意見を持った存在であり、その表明が集合的になにかを形作る」というものだと思っているのだけど、どうなんだろうか。 もちろん、それは幻想だ。メディアでつながる人々の出現というのは、100年も前にタルドが新聞読者について言っていたことでなんら目新しいものではないという意味でそうだし、「その公衆たちは独自の意見を持っているように見えて、実は新聞を模倣しているにすぎない」と彼が断言した、という意味でもそうだ*1。 ある種の犯罪について、加害者(正確には単に容疑者なのだが、それはともかく)の断罪よりも被害者の落ち度を非難するようなことを言うひとたちがいて、その主張の論理的な誤りを批判するひとたちがいる。 どちらの人たちも、「自分たちがやっているのは論理的な意見の表明である」と言っているように僕にはみえて、その誠実さを疑うわけではないが、自