天下分け目の関ヶ原の戦い(1600年)の約1年前、のちの江戸幕府2代将軍徳川秀忠から“希代の軍師”と呼ばれた中津城主の黒田如水(官兵衛)にあてた書状が見つかったことが7日、わかった。偉大な父、家康の陰に隠れた秀忠の行動力や人柄が垣間見える貴重な資料という。 慶長4(1599)年10月、秀忠が京の伏見にいた如水にあてたもの。如水からの贈り物に礼を述べ、「上方は穏やかに治まり喜ばしい」とつづっている。また如水が国元へ戻り、長男の長政が上方に参じるという黒田家の考えに対し、「もっともだ」と評価している。 「上方の治まり」について、兵庫県姫路市の姫路文学館は「黒田家の歴史を記した『黒田家譜』を参考にすれば、関ヶ原で西軍を率いた石田三成が当時、大坂から近江に隠居した状況を指す」と分析。「合戦前夜の一場面を生き生きと描き出す文書」と話している。 戦国史に詳しい小和田哲男・静岡大教育学部教授の話「当時は