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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (7)

  • 無様にやるのは難しい - レジデント初期研修用資料

    「戦力の逐次投入」という代表的な失敗パターン、問題を解決するための資源を過小に割り当てて、それでは足りない、という反応が返ってきても、なおも「足りない」資源だけを現場に送って、結果として貴重な時間を浪費してしまうあの状況というものは、作戦を指揮した将軍が戦力を「節約」しようとしただとか、相手を見くびっていただとか、そんな理由からは生まれない。 不足は見えない 診療をしていると、たまに「このままでは病気に追いつけない」という、いやな予感に襲われることがある。患者さんの治療はそこそこにうまくいっているけれど、ベストと言えるほどの反応は得られなくて、やることはやっているはずなのに、何か足りない。 このまま状況を放置すると、「ちょっと反応が少ない」ままに状況が進んで、気がつくとその「ちょっと」はさらに少なくなって、事態はむしろ悪化していく。気がつくと数日間という期間が、根への対処を怠ったままに消

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

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    lqgq 2011/02/27
    『法律の運用を厳密にすると、ルール違反ぎりぎりの場所に、先の見える人が殺到して、本来目指すべき「常識」を守る人はいなくなる。』
  • 制服が感情を作り出す - レジデント初期研修用資料

    楳図かずおのSF短編で、どこだかすごい重力の惑星を探査するために、人体を改造する話があった。 探査に参加するのは男女の科学者で、主人公の青年は、先に改造された女性学者が怪物にしか見えない容貌になってるのを見て絶望していた。プロジェクトはそれでも進んで、主人公の外見も、どんどん怪物へと変わってしまう。 最終的に、主人公も全身がアメーバみたいな生き物に変態して、女性学者と同じ環境で過ごせるようになる。「人類」視点から見て、両方とも怪物にしか見えない者同士、初めて隔壁が開いて対面して、主人公が相対した怪物に向かって、「私はあなたを美しいと思う」とつぶやくいていた。 私はあなたと違う 「第9地区」という映画も、外観の断絶がテーマの一つだったし、「ヘルシング」の少佐も、「私はあなたとは違う」ということが、闘争のはじまりであり、原動力なのだなんて看破していた。 お互い分かりあうためには、お互いに地続き

  • 大きなものの作りかた - レジデント初期研修用資料

    この1年ぐらい、自分なりに大きなものを作ってきて思ったこと。 何かやりたいこととか、明確な目的があって、そんな骨格に肉をつけていくように、一つのプロダクトが仕上がっていくことは、むしろ少ないんじゃないかと思う。プロダクトというものは、たぶん最初に「制限された迷走」を行う時期があって、目的とは無関係な制限に、膨らんだ発想がぶち当たるぐらいまで大きくなって、そこではじめて、目的みたいなものが見えてくる。目的が生まれて、価値のものさしが生まれて、膨らんだ何かは今度は削られて、一つの骨格に基づいたプロダクトというものが生まれるんだと思う。 何か「これ」というものを書く、作るときにはたぶん、「こうしたい」なんて漠然とした願望はあっても、実際問題作ってみないと、「こうしたかった」という、具体的な何かは見えてこない。 「こうしたかった」は、下手すると手を動かしている人にはついに見えることがなくて、「こ

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    lqgq 2010/01/16
    『制限が発想を生む』『骨は最後に入る』
  • メディアにだって生活がある - レジデント初期研修用資料

    「スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術」というを読んだ。 「プロパガンダ」みたいな心理操作の技法を期待して読んだんだけれど、印象操作それ自体よりも、 むしろ「マスコミの人たちもご飯べないといけないんだな」なんて、変なところに感心した。 怪物はいなかった 「報道する側もご飯をべないといけない」という文脈で読み解くと、「陰謀」に見えるものが、案外そうでもなく思えてきた。 飛ばし記事だとか、スクープ争いみたいな印象とは逆に、報道機関というものは、「怪しい」記事は書けないんだという。 記事を書くにも、それを雑誌に載せて流通させるのにもお金がかかるし、出版社はお金を稼がないと続けられない。 それがどれだけ衝撃的な記事であったところで、「裏」が取りにくい、相手から訴えられたら言い訳のできないような記事だったなら、 訴えられた時点で「赤字」になってしまう。こういうのはリス

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    lqgq 2009/12/23
    「ジャーナリスト宣言」とかいう広告があったな・・・
  • 同意獲得ゲームとしてのネットコミュニケーション - レジデント初期研修用資料

    実世界でのコミュニケーションが、「合意形成ゲーム」であるのに対して、 ネットコミュニケーションというものは、「同意獲得ゲーム」なのだと思う。 ゲームの目的が違うから、おしゃべりの戦略は異なってくるし、ゲームが違うから、 ネットで支持を集めた言葉というものは、ネットの壁を越えて、実社会に浸透できない。 コミュニケーションの大きさと深さ 「2ちゃんねる」みたいな場所には、何となく、「話を聞いたら、それをもっと面白くしないといけない」という、 プレッシャーみたいなものが働いている気がする。 物事を分析する方向で「面白く」するのは大変だから、たいていは、「動物を見た」というお話が 「狼を見た」になって、「狼が襲ってくるぞ」に進化していく。 「ラーメン屋さんのスープが夕方になると塩辛くなる」理屈と同じで、掲示板みたいな場所に留まって、 そこにいる人たちからの同意を獲得しようとすると、話題はどうしても

    lqgq
    lqgq 2009/09/04
    匿名性も関与してると思う。相手が誰だかわからないなら、歩み寄りようもない。だから自分の(誰かの)正しさを強調する方向にしか進めない。
  • ゲームとジレンマ - レジデント初期研修用資料

    ゲームとは 問題の中心にジレンマがあって、参加者が、自らの選択を通じてジレンマの解消を試みるとき、その状況は「ゲーム」であると言える。 ゲームにはルールがある。ルールとはジレンマの設計であって、よくできたルールは、 ジレンマの観察が容易で、「誰にでもできる簡単なことをふたつ同時に行おうとすると難しくなる」状況を内包している。 ジレンマ解消の先にあるもの ゲームのルールがルールとして機能している時期、ジレンマに対する最適解がまだ見つかっていない時期のゲームは楽しい。 多様な戦略が提案されて、その多くは失敗するけれど、全ての失敗もまた、経験として参加者に蓄積される。試行のコストは低く、 失敗しても、失うものは少ない ルールの中心に見えていたジレンマが解消されたそのとたん、ゲームはいきなり地獄になる。多様性を競った時代は終わり、 定番となったある戦略に、全ての参加者が収斂していく。アイデアの価値

    lqgq
    lqgq 2009/08/30
    ゲームのデザインと、ジレンマのデザインというのは等価
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